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2024-12-24 [長年日記]

[煉瓦] 慧眼だと思ったんだけどなあ

[dim]揖保川橋梁(山陽形煉瓦)を書きながら気づいたことは煉瓦寸法問題を解決する慧眼だと思ったんだけど、よく考えたら当たり前のことだったかもしれない。要するにインチ体系で設計した煉瓦をバカ正直にインチ体系で作った結果の煉瓦と、インチ体系設計を尺寸で読み直し、尺寸で製造した煉瓦とでは対厚比が変わってくるのではないかという発想だが、それは結局インチ体系を尺寸でどう読むかの問題に帰結する。ずいぶん前から考えていたことである。

山陽形は

 大高表:7.5 x 3.55 x 2.3 寸

あるいは

 滝大吉講義録:7.5 x 3.6 x 2.3 寸

とされていて、この値で長手対厚比を出せば 3.261 となる。けれども実測値は 3.18 となってやや下方にずれる。実測値からはむしろ 8-3/4 × 4-1/4 × 2-3/4 ins. と読め、実際そう考えたほうが縦目地も横目地も同じ目地厚 1/4 inch で積むことができる。長 7.5 寸 = 9 inch とすると縦目地が1/2inch=1.27cmと広くなることになってしまう。

 実測値:8-3/4 x 4-1/4 x 2-3/4 ins.

 大高表:9   x 4-1/4 x 2-3/4 ins.

山陽形は目地込み1段が 3 inch になるところに最大の眼目があったわけなので、そうすると目地厚 1/4 inch で統一したほうがneatであるだろう。それで、このインチ体系の値で対厚比を出し(=35/11=3.182)、それが実測値に一致すると書いたのがリンク先なわけだが、考えてみれば当たり前の話だ。実測値から導き出したインチ体系の数値なんだからな。一応は上記眼目のこともあるけれど。

要はこのインチ体系の設計のディメンジョンを、日本人が日本人向けに説明する際に先述尺寸数値を採用してしまったところに問題がある。7.25寸とか7.3寸とかにせず、7.5寸と表記したところに問題がある。実際7.5寸に達する煉瓦も揖保川橋梁には使われていたわけだけれども、長手の変動の大きいことを許容するためにそうしたのか、あるいはまた別の何かの理由があったのか。

工事仕様書にどの寸法体系で表記してあったか、も影響するかも知れない。インチ体系で「8-3/4 x 4-1/4 x 2-3/4 ins. とする」と書かれていれば、作る方も(仮に尺寸で製造するにしても厘単位で換算して)それに近い寸法のものを作るだろう。はじめから「7.5 x 3.55 x 2.3 寸」としてあれば当然その尺寸で作り、結果8-3/4 x 4-1/4 x 2-3/4 ins.からずれたものができるだろう。鉄道局納入煉瓦などはM23の達でインチ体系で示してあるから、それ以降納入された煉瓦は特にインチ体系に寄せられるんじゃないかと想像するが、まだ試せていない。その一方、東京形などはM5当初から7.5 x 3.6 x 2 寸としていたので尺寸で測るほうが 3.75 に一致しやすいと思う(が、元となったとみられる設計は 9 x 4-1/4 x 2-3/8 ins.で、この体系で対厚比を出してもほとんど同じ数値 3.789 になる)。

監獄則煉瓦について同様のことを考えると面白い。監獄則では型枠の寸法を示していて、それが 8.3 x 4 x 2.1 寸 と尺寸体系になっている。それが1割強焼き縮んだ時にどのような寸法になるかを考えてこう設定してあったはずだが、じゃあ製品の寸法を尺寸にフィットするよう作ってあったのか、それともインチ体系の寸法を想定していたか。等方的に焼き縮むものと仮定して計算すると 7.3~7.4 x 3.5~3.55 x 1.85~1.90 寸のまことに微妙なものになり、むしろインチ体系で読んで 8-3/4 x 4-1/4 x 2-1/4 ins.と見たほうがよりフィットするような印象がある。而してこのインチ体系の寸法は関西煉瓦のプレス成形煉瓦とか琵琶湖疏水煉瓦とかにも近いのだった。明治30年代まではこのインチ体系の煉瓦がある種のデファクトスタンダードとしてあったような印象をもっている。それを7.3×3.55x2寸と読んだ琵琶湖疏水があったり7.3x3.55x1.8寸と読んだ広島軍用水道があったりしたんじゃなかろうかと。

そうそう、琵琶湖疏水の 7.3 × 3.55 x 2 寸 という寸法にぴったり一致する煉瓦が見つからないのも、インチ体系で設計・製造していた結果かも知れない。7.3 × 3.55 x 2 寸 としたのは出来上がったものをそう読んだというまでで、実際にその寸法で作ってはいないのではないか。計測した煉瓦が「若干ある」とされた1.8寸厚のものであった可能性もなきにしもあらずだが、手持ちの疏水煉瓦はどれも60mm厚に達しない。

 長手対厚比[尺寸:厚2寸]   :3.650

 長手対厚比[ins.:厚2-1/4inch]:3.889

 長手対厚比[実測結果]     :3.96

 長手対厚比[尺寸:厚1.8寸]  :4.056

西洋技術を導入し始めた頃はインチ体系をそのまま受け入れてインチ体系で作るかインチ体系を厳密に尺寸で換算して作っていたものと想像する(建造物の設計図ごと輸入するような感じ)。鉄道局の最初期に各地の瓦産地で煉瓦を作らせた時などはそうだったろう。この大きさで作るべし、と見本を渡すことだってできただろうし、場合によってはインチメジャーが託されたりしたかも知れぬ。それがだんだんこなれてくれば、普段使いの慣れた尺寸で製造したり指示したりするようにもなるだろう。キリのいい数字になるよう丸め込んだ設計をしたりすることもあったろう。東京形の「(目地厚2.5寸とすれば)四段の高さが九寸になりて目積りをする時に都合宜ろし」(滝講義録)のような。これは最初からだけれども。山陽形はもっと親和性がよくて目地込み3インチ4段=1フィート≒1尺と換算できた。隅石と組み合わせる時には非常に便利だったろうと思う。並形の1.75~1.8寸も2分弱目地で1段2寸とできた。5段で1尺≒1フィートを作り得たわけだ。東京形はここが若干弱い。最終的にインチ体系を離れて尺寸のみで完結する頃には、建物の壁厚も柱間距離も最初から尺寸で設計されるようになっていて、そこに尺寸設計の煉瓦を当てはめていくような感じになったのではないかと想像する。 画像の説明


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