nagajisの日不定記。
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シンガポール陥落祝賀行事ありたる故学科なし。藤崎宮・護国社・雄健社参拝す。今日は朝食各個にて七時三十分に、外出の服装に脚畦をうがち集合す。藤崎宮まで予行の軍歌演習をなし行き、九時に正式参拝をなす。以後は大通を辛しな〔青訂正:島〕町の方より護国神社に途中軍歌連続にて行き参拝す。帰りも亦軍歌演習をなし中に、一粁を駈けたり。行路は往の逆なり。学校著十一時五十分なり。直に雄建神社〔ニ〕参拝し、東條首相の挨拶を聞く。会食なり。非常に多かりき〔し〕が全く食したり。十四より一年は棒倒し、二・三年は野〔nagajis:「球」ヌケ?〕試合をなし、祈賀行事了る。以後は随意なりき。
惟うに喜びのみなし〔に過さず〕護国の神となられたる英霊に対し敬を表せざるべからず。〔朱傍線、欄外「◎」〕
〔欄外朱 2.20と「下川」印〕
今日より室外に点呼あり。今日は雨降りし故か蒸暑く湿度80%なりき。点呼には校長殿見えられたり。午後は柔道にて四人相当り試合ありて一本勝ち一引分けなりき。試合となると固くなりて不可なり。自習。運動班長(副も)を定むべく調査及び人選あり。終日眠く視力なくボートなりて何も不明。要睡眠。他異状なし。
沈埋函の仕様が少なくとも3種ある。橋梁化した場合の図(設計図にもあらず、落書きにもあらず)もある。けれどもそれぞれに年月日がなく、いつどの段階のなんかがよくわからん。これが「種々検討」の結果なのだろうと思うが・・・。だいいち着工後に大水害その1で設計変更してるのよね。その辺ちゃんと把握せんといかん。
午前中から午後1時半にかけては淡路の辺りをうろついていた.この写真とか
この写真とかが収穫.と書いた所で何のこっちゃサッパリやな.あの看板はモザイクかけんと使えんし.
ラインとしては崇禅寺の一角をがっつり削り取ることになったはずで,押しかけて尋ねてみたけれども,そういう道の話は聞いたことがないとのことだった.お父様からも聞いたことがないという.やはり存在しなかったんだろうか.該当箇所は駐車場と墓地になっていた.
例の「基線」は府営住宅地.これも収穫といえば収穫か….
大阪窯業の貝塚工場跡を再訪する機会があった。南西方に残っている煉瓦壁を再チェックして、上半分はどうも機械成形らしかったことに気づく。窓状に開いているところを覗き込めば機械成形の平に大阪窯業マークを押したのが見られる。崩れて断片化したやつにも。どれもあまりウマくないB級品だ。
この場所が大阪窯業貝塚工場になったのは明治39年ことだが、壁はそれよりずいぶん経ってから築かれたらしい。下に使われている空洞煉瓦(ホロータイル)は大正12年に製品化したものだ。反対側の壁には舗装煉瓦が使われている。小口に印のある例のやつ。
刻印分布の画像はPicasaWebのリンクを貼っつけたので全部ダメになる。こっちにもいくつか引っ張ってるやつがあるけど、まあいいか。せめてGooglePhotoのをはっつけられるようになってくれないと大変だな。
ま、いずれこうなることはわかってたんだし、ただで使ってるんだから「御自由に」だな。
大阪窯業磯上工場跡を探して下野町の辺りをうろうろしてて発見。路地の煉瓦溝に使われているやつが全てこれだった。漢数字の三であるようにも見えるし、縦三本線であるようにも見える。
こういう感じの三本線の刻印は兵庫県の阿古煉瓦の辺をうろついてた時なんかに目にしている。あの時は長手前で三だったっけな。あと西播煉瓦の西の在所でK8と混じって転がってた。同じものとは思えないが「三本線」という一言で括れなくなるのが面倒。
機にちょの時に作ったものを久しぶりに見てみたら、なんだ、ここに定款のリンクもつけてたんだな。nagajisえらい。しかしその後奈良図のシステムが変わって旧リンクはことごとくデッドリンクになってしまっていた。リダイレクトくらいしてくれりゃいいのになと思ったけれども書誌IDに相当する個所も変わってしまっているらしい。内部で新旧関係を保持してたりなんかしないのだろうなぁ。
ネットの世界で未来永劫変わらないものなんてないんだろうと思う。ORJを始めてからいままので間に近デジが国立国会図書館デジタルライブラリーになったしうおっ地図も名前が変わったしPicasaWebが消滅して旧リンクが死んでいる(Googleのくせにリダイレクトしないなんて)。後に生まれて先に死んだサービスなんて数え切れないくらいある。泡沫もよいところである。吹けば飛ぶようなというか死んだも同然なのはORJのほうなんだがな。
世界と関わらなくても世界は変わっていく。自分には自分の生活がある。同じ夜の底にあって同じ月を見ているとしてもこちらの存在は相手に伝わらないし相手の存在をこちらが知ることもない。思いの及ぶ範囲はあまりにも狭く影響線はさらに狭小で、そのことに耐えられるか耐えられないか、ではないのだ。世界はそういうものなのだ。a2+b2=c2を定理として受け容れるがごとくに彼我の無干渉を受け入れて疑わないようになった頃やっと開けてくる展望があるようで、最近ちょっとだけその片鱗を垣間見れるようになった気がしている。世の中を変えようとか影響を与えようとか企むとたいていその通りには行かないし変わった世の中に自身が納得することもない。要するに電光石火のその場凌ぎでよい。あ、これはコアダンプタグ振るべきだったな。
珍しく。そういう時ほどここに書けないのでもどかしい。面白いに決まってるんだがnagajisが関わると途端に腐ってしまうからな。そんなことになったら勿体無い。そのくせ書きたい欲を持て余して書くから要らぬ誤解を受けたりするのだよ。ここに書くことは毫も意味がないと改めて名言しておく。
膝下がしびれる。指先が痺れる。麻痺して動かないわけではないがチリチリとする。指で頬に触れてみるとこんなに冷たい手だっただろうかと思う。血流が滞っているようだ。そういう状態がもう3ヶ月も続いている。
先日などは右肺の上の方で突如激痛が走った。息を吸い込み圧迫されるとキリキリと痛む個所がある。自転車で多少漕いだだけで痛み始める。 素人見立てでは ナントカ動脈が一本切れたんじゃないかと思う。もともと血圧は高い方であるみたいだしコレステロール値が異常値なのを放置してきた。血管があちこちで硬化しているはずだ。てなことを考えていると昨年夏の蕁麻疹であるとかアレとかコレとかが前兆であったのかと思ったり思わなかったりして心地悪い。
病院に行けば済む話かも知れないが、思い直してみれば別に生き延びなければならぬ道理も義理もない。死ぬ死ぬ詐欺でみずぼらしく生き長らえ忘れられた頃に死んでいくのもらしくて良いかも知れぬ。醜態を晒して生き、醜態を晒して死ぬ、そして世界は何一つ変わらない。快哉ではないか。
北海道編の仕上げをと思って弄っていたら大日本商工録データを入れ忘れているのを発見。この段階から入れるんはすげえ面倒なのよとほほ。
ついでに北海道編に佐藤煉瓦工場入れ忘れてるのを発見。この工場は昭和煉瓦製造所になったり謎の窯業株式会社になったりして3段要求してくる。しかしもう1枚目は一杯なのだよチミ。。。ああどうしよう。南北配列を諦めるか・・・。野幌と札幌と小樽で1枚使ったらそれなりに収まるんじゃね?と思ったりするが果たしてどうだろう。
佐藤煉瓦(西野幌10)は戦後から報国窯業だったか報国煉瓦だったかが存在していてしかもS24版には2工場がここに存在している。どういうことだ。電話番号野幌16でマッチングしようとしたらまた別のそして何か焼くものがこの番号使ってるし。わけわからん。
ハツリハンマーほど重いのじゃなくてコココココココと叩けるような小さなトンカチ欲しいなあと思いホームセンターに買いに行く途中にリサイクルショップがあることを思い出しこの用途程度だったら別に中古でもいいやろと思い直してそちらへ行ったら新古品が幾らもあって100えんだった。そーそーこんな感じのんが要るんよということでそれを買おうとしたら400えん請求されて「えっ」と思った。値札読み違えていたのだ。ばーかばーか。
400えん程度なら別にそれでも良かったはずだが慌ててしまって別の100えんのを書い直してしまった。すごいケチと思われたに違いない。すまぬ店の人よ。
しかしこの100えんトンカチ、小さいながら中々使いでがありそうなカンジだ。打つ方の反対側が横一文字になっていて、そこをハツリに使うと細かなモルタルがうまく落とせる。中性化して塩酸に溶けなくなったやつを落とすのに最適だ。
ああこれいい感じ、こういうのが欲しかったんよ、ということで砥石で削ってさらにはつりやすくした。縁に残った細かいモルタルをコココココココと叩くと縁を欠くことなく落とせる。 あんまり尖らすと煉瓦に傷行ってしまいそうだがそこは技量でカバーだ。同じことを400gハツリハンマーでやると縁が欠けるうえに腕が死ぬ。
欲を言えば自動でココココココとやってくれるのがあったらいいな。溶接のチッパーのハンドクラフトサイズ的なのとか、刺青ミシン?のマイナスドライバー版とでもいうべきもの。そんな都合の良い道具はねえだろうなあ。あれ、そういやミニルーターのシリーズでカービング用のそういうのがあった気もするなぁ。
_ 高橋ま [今週のブラタモリでは、江東区の埋め立てられた運河の痕跡を探しながら路地を歩いていましたが、似た感じですね。]
_ nagajis [対抗するわけではありませんが・・・深さと誰得度では負けませんよ.]