nagajisの日不定記。
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大阪窯業の貝塚工場跡を再訪する機会があった。南西方に残っている煉瓦壁を再チェックして、上半分はどうも機械成形らしかったことに気づく。窓状に開いているところを覗き込めば機械成形の平に大阪窯業マークを押したのが見られる。崩れて断片化したやつにも。どれもあまりウマくないB級品だ。
この場所が大阪窯業貝塚工場になったのは明治39年ことだが、壁はそれよりずいぶん経ってから築かれたらしい。下に使われている空洞煉瓦(ホロータイル)は大正12年に製品化したものだ。反対側の壁には舗装煉瓦が使われている。小口に印のある例のやつ。
刻印分布の画像はPicasaWebのリンクを貼っつけたので全部ダメになる。こっちにもいくつか引っ張ってるやつがあるけど、まあいいか。せめてGooglePhotoのをはっつけられるようになってくれないと大変だな。
ま、いずれこうなることはわかってたんだし、ただで使ってるんだから「御自由に」だな。
大阪窯業磯上工場跡を探して下野町の辺りをうろうろしてて発見。路地の煉瓦溝に使われているやつが全てこれだった。漢数字の三であるようにも見えるし、縦三本線であるようにも見える。
こういう感じの三本線の刻印は兵庫県の阿古煉瓦の辺をうろついてた時なんかに目にしている。あの時は長手前で三だったっけな。あと西播煉瓦の西の在所でK8と混じって転がってた。同じものとは思えないが「三本線」という一言で括れなくなるのが面倒。