nagajisの日不定記。
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CMとかキャッチコピーとかは好きな方である。巻末の「戦後キャッチフレーズ500選」に惹かれて読んでみた。参考に成ること多々。「芸術はバクハツだ」が日立マクセルのCMだったこととか忘れてた。
「大きいことはいいことだ」。高度経済成長の浮かれた雰囲気を直反映したものだとばかり思っていたが、そうではないという。GDPは世界第二位になったものの、国民一人あたりの所得は20位で、一般家庭レベルでは豊かになったという実感はなかった。小さい家、小さい車に甘んじていたところへ投じられたCMであって、だからこそ大きなもの大きな暮らしに憧れていた人々の共感を得たのだ。
帯には広告コピーやCMが時代を語っていると書かれてある。たしかに巻末表や本文を読むとその時々の雰囲気がわかって面白い。私はCMが世の中を誘導することもがあると思っているのだけれども、CMが牽引する場合もあれば、時代の要請的に、その当時の人々の思いから滲み出てきたようなCMもあるのだなと気付かされた。さっきの森永のCMもそうだし、サントリーのアンクルトリスシリーズとかも。
まあ結局は「売れればOK」「目立てばOK」な世界。あんまり関わりたくはない。イメージだけで売るのは卑怯やん。
鼻奥の乾きと首凝りが真性鼻風邪に発展した。痛みは薄れたが水鼻ズルズルである。終焉に向かって前進したわけなので自分としてはさほど案じてないのだが、見かねたSさんが栄養ドリンクを呉れた。なんてやさしい人なんだ。
それ飲んで野菜スープ作って食っておとなしく寝る。
ああ、そうか。金が貰えても痛みが引かないんだったら大変だよね、心配だね、っていうことをちゃんと伝えねばならなかったのだ。保険屋さんのやり方を云々いおうという気は更々ないのだ。時おりそんな短絡をされる。
時々思うことがある。性交行為に「おまんこ」「おめこ」と女性器の名称を充てる日本の文化と、男女の性別(性)をそれに充てる欧米の文化とでは根本的なところで違うんだろうなあと。日本の場合、必要なもののもう片方として「ちんこ」を充てていても可笑しくはなかったはずなのだが、あえて女性器なのは文化的に何か意味があるんじゃないだろうか。男尊女卑思想とか何とか。そういう使い方になる以前があったんだろうか。違う言葉が使われていた頃は。
あるいは日本だけの特異な用法なのかもしれないな。 「セックス」が主に性行為を指す言葉として使われるのは。make loveとかいろいろな言い回しはあるものな。性差がある=子を作るという関係はごく自然な感じがする。隠語的に女性器名称を借りてくるのはなんだか妙だ。行為を表す語を他所の国から借りてきて口憚りつつ使っている現状はそれに輪をかけて妙である。あけすけに言う必要はないとしても、態々隠してもったいぶって使うほどの言葉でもないのではないか。
いや、そうじゃないのか。言霊の国ゆえ大事な言葉(行為)に敬意を表して憚っているだけか。
栄養剤のせいでかえって目が冴えたのかも。たしかに効いている気はする。帰り際のだるい感じはなくなった。鼻は一眠りすれば止まるだろう。相変わらず喉はいがらっぽく、脳がモヤッてる感じはぬぐえないが。
栄養剤なんて普段飲み慣れてないからなぁ。そういうのに頼らないと体力回復しない歳になったのだなあ。
小さな連想と大きな転覆。寄せては返す波の如き思考。思索でも思惟でもないただの妄想。当たり判定のあいまいなビックバイパーに乗って弾幕を交わし続けているような感じ。シナプスが痺れて連動していない。てんでばらばらなエイトビートの泡沫雪崩。そうか明日は土曜日か。
「眠れない夜」なんて今じゃ詩的な表現になっちまってるけど、実際はそんな切ないものじゃあないぜ。眠らなければならぬという義務感をジンジンする頭が生理的に拒否しやがる。眠らねば体力は戻らないのに、なぜわかってはもらえぬのだ体は。おれの副交感神経はいつも大事なところで反旗を翻しやがる。旗振るだけならまだ可愛いが実力行使に出られるとちょっと。退治てくれるわけにもいかないからな。あくまでもあくまでも幣原外交で強調路線するしかない。一蓮托生するか、もしくは刺し違えて果てるかだ。
強調外交の一環としてキーを打って疲れようという魂胆なのだが脳が疲れる前に腹が兵糧を欲しておる。鍋一杯の野菜スープじゃ不満か。もっとガツンとくるものがいいか。帰って下痢質の便を大量にしたのもよくなかったか。あれじゃすぐに腸へ流れる。そのうえ消化のいい野菜群だ。そりゃ腹にたまらない。
「お腹いっぱい」の感覚が胃袋からではなく腸から起こればいいのにと思う。そうすれば宿便で悩む女子群も救われよう。満腹感の幸福と排便の快感が立て続けにやってくることになるけれども、それはそれで畳み掛けるようでよいじゃないか。
というわけで野菜スープの第二弾が煮込まれつつある。サボイでは何故かコンソメスープを見つけられなかった。かわりに鶏ガラスープを買おうとしたのだがレジへ行く途中で味覇が安いのを発見してしまいあっさり鞍替え。いつだってnagajisは旗色不鮮明であり幽玄フジッコである。
このスープにスパゲティ入れたらうめえんじゃね?などという不埒なことを思いついてしまい逡巡中。国家は復興途中でありあなたは中暗刻であった。ちくしょう茹でる鍋がねえ。
やばいスープを半分近くにまで煮詰めてしまった。何を作ろうという魂胆か。えらく塩辛い、体に悪そうな……と書きかけて、いや、今は塩分が足りていないのかも知れぬと思う。ここのところスティックスナックチョコチップばかり食ってた気がする。もちろんそれは気のせいであってそれ以外の栄養のあるものーーー吉野家の牛丼しかもギョク付きとかーーーも食っておる。にもかかわらず体調不良なのは、これはもう慢性的な何かだとしか認め得ないではないか。
あしひきのやまどりのおのしだれおのながののやまのおくのあけぼの。「ぼくのあけぼの」ののほうが語感がよい。あれ海外で俳句っていったら5語+7語+5語の英語でなかったっけ。日本語で書いたらもう単なる俳句じゃん。
怪しからぬ着想のせいで食事があと10分ほどおあずけとなった。麺を茹でねばならぬ。何度も布団を出るのが面倒になってきたので水に麺を突っ込んでおいた。そうやってフニャ麺にしたほうがこの場合旨いだろうとも思う。しかし開け放しの隣室の窓を閉めてくるのを忘れた。冷気が部屋を徘徊しておる。
だいたい風邪を引いたのは窓開け放しで寝ているのも関係しているはずなのである。開け放しで布団着込んで寝て起きたら毛布を蹴り飛ばしている。何をしたいのか一向にわからぬ。とんと見当がつかぬ。