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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2009-10-23 [長年日記]

[独言] うなされて起きる

(現実には所有してない)冷蔵庫の中に虫の湧いた生ゴミが詰まっていて、そのうえ紛れているペットボトルの中に死にかけた魚がうねうねずぬりとしているを見てしまい「うゎあ(汗」となった夢を見た。速攻扉を閉めたのはいいものの、あとをどうしよう、というのでぐだぐだと悩む。さっさと目ぇ覚ませばいいのに>nagajis

[ORJ] 原稿

画像の説明2日目朝で中断中。核心なんだけど見どころがない。雪の中にCPL落として時間ロスした話なんか書いても仕方ないしなあ。

毎回東熊野に時間をとられて他のことができず。どのみち必要とされてないんだからいいといいえばいいんだが、単調だ。

絡みで伯母谷軌道まで書いてしまったほうがいいんかも知らん。いまは片付けるほうに振らないと。

[企画] 11/22〜23頃

次号予告で入れていた件は11月末の連休になりそう。廃道をゆく2には使われないかも知れない(いけね、訂正してねー)けれど、今年最後の大イベントに参加されたい方はぜひ。

[ネタ] 若狭街道、北国街道

工事記録が残っているっぽいので申請中。実際に見られるのはかなり先になりそうだから、地図だけ確認しておくことにした。いずれも二万分一地形図/明治26年測量。熊川村は明治後期だったかも試練。

画像の説明若狭街道水越峠。峠はいまと変わっていないが西側のトンネルの辺りに旧道があるらしい。どんな橋が架かってたんだろ。

画像の説明北国街道栃ノ木峠。北側に換線。ただし今この谷筋には大きな砂防ダムが連続して架かっている。かなりズタズタな予感。

画像の説明椿坂峠にも地味に旧線がある。

謎の自衛官氏にタレ込もうかとも思ったけれど、氏の手を煩わせるほどのものでもないかも知れない・・・そのへんは県民局資料を吟味してから。たぶん作られた時代とか経緯とかのほうが面白いと思うんだ。

栃ノ木峠、椿坂峠は一度自転車で越えたことがある。ホハレ峠へ行って、冠山峠経由で福井へ出た時に。懐かしい。

ありゃ、椿坂はいまトンネル作ってるのか・・・。

[] 次回は1/30

になりそうな感じだ。<感じだ、じゃねえ。人に任せッきりになるなと。

今度は土曜日なので余裕があるかも知れない。ただし南国の人nagajisは使い物にならないはずだ。隅のほうで大人しくしていよう。というかマジでnagajis要らんのじゃね?

[ネタ] 昭和初期の滋賀県政

役員会に参加する序でに滋賀県史昭和編をフェッチしてきて読む。これくらい詳細なものが大正中期からあったら苦労しなかったんだろうけど。

政治面からの考察が全然できていない。例えば政党政治と滋賀県土木の関係。大正後期〜昭和初期の滋賀県は政友会の天下だった。井上準之助井上敬之介ちう政友会の重鎮がいて県会を半ば牛耳っていた。「滋賀には知事が2人いる」とか、井上に就けば県会は安泰だとか言われていたらしい(最近気づいたが井上準之介は日田生まれだ。あんまり名前を聞かんかったのは金融恐慌の引き金を引いた人やからやろか。(こっちの)井上さんは昭和7年血盟団に暗殺された。井上敬之介は昭和2年没)。

原敬内閣の元で滋賀県知事に就任した堀田義次郎も井上の操り人形だったいうのが通説。堀田がそれまでで最大となる二百数十万円の歳出予算を提出し琵琶湖周遊道路計画ほか道路政策をがっつり押し進めることができたんも政友会系知事で、政友会が道路政策を好んだからだった。ただそうやって可決した15カ年計画(だったかなあ。全部うろ覚えで書いてるので信用するなよ<誰に向かって言っている?)は堀田なきあと停滞した。井上が支部長を去り(世を去り)、民政党が盛り返してくる昭和2年以降はさらに滞った。賤ヶ岳隧道が昭和2年にでき、続きとなる湖北は昭和9年。全通は11年の初夏。

滋賀県で時局匡救事業が活発だったという印象はない。あるにはあるが本当に局所的なもの。例えば万世や山陰道が直轄で工事されたようなのとは比べものにならない。こまごまとした工事が多かった印象がある。米原跨線橋とか。いや、京津道路の改修があるか。このへんはもう一度確認するべき。

で、ほとんど繰り延べ々々になっていたところを堀田貢が八八計画を打ち出し整理復活させようと試みた。観音坂隧道も実はこの頃俎上にあがったもの。堀田貢のいる間には進展しなかったが伊藤武彦が頑張って片付けた。県会もこの頃は非常時局ということで骨抜き&陳腐化してたらしい。以上うろ覚え記述。

村田がいた時代はそういう政治に翻弄された時代だった。昭和3〜6年の間目立った動きが無い(これは村田に限らず滋賀県土木課全体にとって。この年間の年表はやたらと短い)のもそのせいなのだろう。費用削減で土木課職員26人が一斉に辞任したというのもこの頃のことだ。

原敬が藩閥を解体し政党政治を確立させた功績は大きいけれども、未熟な日本はそれを安定運用できなかった。政権を取ることが目的の政争だったり市民レベルでの政党対立が始まったり。それが5・1615にも2・26にも直結している印象が(個人的に)する。それが後々まで尾を引いている。うちの田舎もそうだった。玖珠川を挟んで向こうとこちらとでは仲が悪かった(子供的シマ争い的アレなんかも知れんけど)。森藩<>天領というところから始まったものだとばかり思っていたが、直結しているのは大正昭和の政友会vs民政党の対立であったりすることを、田舎を出てから知った私だった。どうでもいいじゃん・・・と思う。それで両者を結ぶ橋が「協心橋」だっていうのは、泣かせる話じゃないか。

はい沢山間違えてました。修正修正。

[ORJ] 脈絡などない

小ネタを入れ込もうと思う。

・第一期熊野街道荷坂峠

・一庫ダム工事道路

・音水林鉄赤西支線/音水上部軌道続き

辺りさっさと片付けたい。北摂でもいい。旧多田大橋は写真がどっかいった・・・。廃橋というとまっ先に思い出すが写真が見つからず。この間撮ってきたのも中途半端。

[独言] さらに倍

CFは確かに県民局にあったけれども「郵送してくだちい」とは切り出せなかった小心者。次回申請が通った時に取ってくる。それだけのために1500えん消費できるわけがないし、どのみち核心はS11の職員名簿だからな。中身を忘れないうちにメモっておいてよかった。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ とと (2009-10-23 23:26)

内容が濃すぎるよ…。

_ sudofoo (2009-10-24 16:32)

ダム建設中な「広根」を見直してみた。うーむ。。。


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