nagajisの日不定記。
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今日(22日)は朝から歩いたり2時間暇つぶししたり胃がキリキリしたり大変疲れた一日だった。ここで国玉区暇があったらKINIASのひとつでも更新しろってんだ>永冨
なんば古書センターで絵葉書を購入。つぎは吊橋やるんだったな、と思っていたところ運良くかずら橋の絵葉書しかも側面景が入手できた。3枚100円なので四天王寺産よりもお手頃。受付に高く転売するつもりでいる。
それにしてもしんどいなあ・・・一度しんどいと思ってしまうと際限なくしんどくなってしまう。どっかで断ち切らないとと思い無理してでもサイトを更新した。たった数十分の作業じゃないか。え。
明治43年(1910)年に完成した和歌山県和歌山市は和歌ノ浦の展望エレベーター「望海楼」。漱石さんも乗ったそうだ。
こちらは三重県鳥羽町(当時)にあった日和山エレベーター。昭和9年竣工。鳥羽駅前から高さ50mほど上昇して展望地点へ。
どちらも同じような立地で同じような形をしているのが面白く感じた。ただそれだけで購った絵葉書。
コンクリートで蓋されたのだそうだ。あんなばかばかしい事故が起こり、その前にはあすか撮影のばかばかしい撮り鉄が列車運休させて、そりゃJRも対策せずにはおれんだろうと思う。もともとJRはこの手の遺構に冷淡だ。JR西は特に。
まったく、産業遺産って何なのだろうと思う。企業活動の遺物の価値は誰がどう評価すれば定まるのだろう。所有者は要らないと言っている。邪魔だといって蓋をする。その行為に対して所有者以外が口出しをし、保存・活用を訴えることが果たして良いことなのか。意味があることなのか。所有者だけのものに非ず、社会に大きな影響を与えたモノだから社会が声をあげるのはまだわかる。社会のコンセンサス不在のうちに余計な闖入があり事故が起こり塞がれて元機能を失う。そうしなければ所有者が困るからだ。その困るのを無理やり止めさせることが良いことなのか。
産業遺産は保存されるべきだと心の底から掛け値なしで叫ぶことができない。産業遺産というものへの信心が足りないからか? TICCIHは産業革命の遺構・遺物の素人研究から始まった。自国の産業革命が全世界に及ぼした影響が大であり功績があると信じてのこと。では、極東の島国に本国に遅れること約百年後にようやく波及してきた 産業革命の痕跡を、近代化遺産を、研究し、調査し、保存を訴えていくことの意義は如何。ニッポンの産業遺産の価値や如何。活用する気のない企業にとってはただの厄介者でしかなく、一部マニアの弄び物にしかなってない現状を欧米の産業遺産と比較してしまうと、なんか格が違う感じがして、大手を振って主張できない。「いいものだ!」と叫べない。残したところで「観光資源に「しかならない」」現状を、さんざん見せつけられている。
見方が違うのだな。遅れてやってきた産業革命のお陰で、日本は短期間のうちに列強と肩を並べる国になれた。高々40年ちょっとの期間で近代化を完了した。本家が示したお手本を忠実に&貪欲に吸収してものにしたから本家よりも短期間で済んだのだ。産業革命の余波とは書いたけれども、震源から遠ざかるほど高くなる津波のようなイメージかも知れない。そうして過去をすっかり洗い流して、跡地に違う日本を残していった。日本の近代化遺産は産業革命の到達点としての価値はある。
そのことはまあ価値があるだろうけれども。戦争に負け、過去がすべて誤りだったと反省した時に、それまで水に流してしまったきらいがある。して、昭和20年以降の現代的発展ばかりが「どん底からのV字復活」「ものづくりニッポン」的な捉えられ方をされ賞賛の対象になっている。だから戦前が霞んでしまうんだ。今更富岡や八幡製鉄所を持ち上げたところで・・・という諦め。このシラケムードの根源はその辺りにありそうな気がする。それ打破するために世界遺産化しようとしてるのだろうけれども、なあ。余りに泥縄過ぎる。
ドイツの人は自国の産業遺産をどのように捉えているのだろう。全く同じでないにしても参考になりそうな気がする。