nagajisの日不定記。
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命日なり。十六時四十分より十七時二十三分まで校外の交換馳■歩なり。十九時より大講堂に於て、議会に於ける戦況報告の録音を聞る〔く〕。陸軍はボルネオ島に上陸す。一日、目まぐるしき程いそがしき日なりき。
父の命日なり。朝よりむし暑くして雨なり。教頭殿は教育総監部に教頭会議の為出張されて不在の故、二年全部此の時間に博物・生理衛生の考査あり。午後の停車場見学も中止になり、剣術・自習あり。術科今日はさっぱり振わず。健康状態良好。
糸通し。君はなぜ必ずローマの兵士(みたいな人)なのか。そうして適当に扱うと針金が取れてしまうというお約束。直せそうで直せないのが無性に悔しい。
(4時間後追記)
ハッ。もしかして
裁縫 → 鋏 → シザー → シーザー → ローマのひと
とかゆう駄洒落じゃないだろうな。
意図してコアダンプするのは難しいことがわかった。14日付の一文はきっと多分永久に公開されないだろう(かわりに後悔しておく)。さもさりげなくゲロッたあとでコアダンプ認定するといいのかも知れない。
とりあえず、たくさんのみなさまがたへ。感謝。ちゃんと届いています。
独り年末信仰。もとい年末進行。年末振興というのもいいかも知れない。どうでもいい。
CD#2を今度こそ進めなければならない。今悩んでいるのはBACKボタンでBackしていた分をいまの形式(アーティクル形式)に直すかどうか。後半と整合性が取れなくなるし。しかしそうするとかなり手を入れなければならなくなるし、チェックが面倒だ。この辺りエイヤッと投げてしまわないといけない所かも知れない。今の形式のアンケートをつけるかどうかとか、通しのしおりをつけるかどうかとか、どうでもいい悩み所が多くて困る。
「喪われた・・」の第一回は結構手直ししなきゃいかんかったはず。確か。多分。この企画の表紙の修正は、実は終わっている。
次号。北摂は追加取材。TRDBもS洞追加取材? 少し考えていた熊野とのガッチャマンしてもいいのだが(意味不明)。そろそろ新しいパターンの何かがほしい。探近土、もしくは全く違う何か。また北摂を休んで頭をひねるのもいいだろう。
徳川道も残りを行っておかないと。川上村方面はwait。
20日(土)または21日(日)に天王峠へんをヘロヘロ走るかも知れない。走り納めランというわけではないが。1月14日に行ってみたい気もするが発行日前だしな。
あのへんこのへんでちらほらと掲載していただいてるのでそのまとめを作らなければならないことになった。こういう時の転載許諾って必要なのかしらん。
個人的にはあちこちで充分宣伝していただいているし自分で自分の宣伝をするのも小ッ恥ずかしいので目立たないようにまとめたい。 出版社のみなさんにお世話になったことを考えればそのお礼の意味も込めてあちこちで宣伝したいのは山々なのだけれども(しなければならないのは山々なのだけれども)、自分自身のことはどうでもいい、むしろ消えてしまえと思っているからあまり気が乗らないところもある。この辺りとても矛盾している。そもそもウチでどうこうしても何も起こらないような。とはいえORJのマイルストーンの記録として必要だろうというのは理解しているのだが。うーん。
ワンダーJAPANの今号にも載っているそうな>廃道本。しかし廃墟がテーマでかつ豊後森機関庫が載っているらしい辺りがアレだ(まだ読んでいないのでイイとかイヤとかどうとかいうのではなく純粋に引っ掛かるものがある)。キハ07 41がひっそり残っていた頃の印象が未だに強いからwebや全国紙で取り上げてほしくないのかも知らぬ>ナガジコ
そうして夏休みだったか冬休みだったかの宿題に一人写生大会に行って汽笛の音に魂消たことや背景を描くのが面倒臭くて機関庫の中なのに青で塗りつぶしたことや何故かそのいきさつを弁論大会で喋らされたことなど思い出す。当時はまだターンテーブルも車輌下の整備空間も埋め戻されていなかった。ああどうでもいい記憶よさようなら。
その辺りのことを一度じっくり考えてみたい。世間一般通念的にはたぶん上記論理式で合っているだろうがnagajis個人はどうも違うような気がしてならない。単に自分のすきなものを世間一般通念的でない特別な何かに仕立て上げたいというだけの、nagajisの勝手気侭な我田引水的願望に過ぎないのかも知れないが。
廃れたものを見てハアハアしたいなら廃墟へ行けばいいに決まっている。それ以外があるから廃道に惹かれるのだ(と思うことをORJに書いてきただろうか? ちょっと不安)。そうしてそのそれ以外の部分は、ふつうの人々にとってはどうでもいい、些末なものとして切り捨てられる部分であることも理解している。現物を見ただけでは見えて来ない何かにとても大切なことが含まれていやしないか。
Photo:Stonekororin
GFDL/ja & Cc-by-sa-3.0,2.5,2.0,1.0/ja
岡本太郎の太陽の塔。得も言われぬ存在感で万博公園に建っている。その余りの存在感ゆえに車で外環中環を走っただけで見えてしまう。大阪へ来る前から塔の存在は知っていたけれども、実物をこの目で見た時、想像以上のものであることを見悟って畏怖した記憶がある。こういうものこそ芸術作品というのであろうと思う。
大学の時、同期のE氏がこれを見て言った。
こんなに大きいなんて、恥ずかしいなぁ
間違いはない。そう言って身悶えするE氏の隣でnagajisはその言葉を聞いたのだから。あの時ぼくらはE氏とその発言を笑ったけれども、最近それが案外的を射たものだったのではないかと思い直している。奇妙なポテンシャルの一つとして。同意してくれる人、いるかも知れない。そう思ってここにも書いてみる。
深い意味はない。
つまりはこういうことだろう.そうだろう玉村.
T/O.「風呂場に置いていたマグカップでコーヒーを淹れたら石鹸味が醸し出された」でも可.いずれにしても面白くない.
しんどい状態に数時間置かれた程度で蕁麻疹出すな>クソJIS.何か聴きながらのほうが良かったかのう.
T/O.先手を打っておけば怖くない怖くない.
於昨日の探索.この写真を撮った3分後に紛失した.落とした範囲はすごく限定されていて,探せば間違いなく出てくるはずだし,実際15分ほど歩き回って探したのだが,見つけることができなかった.下山時間が迫っていたので諦めて帰ってきた.結局その分だけ遅刻した.
1997年の春にダンロップのソロテンを購入した頃から使っていたはずのシルバのNo.2.蓮根峠から塩久峠へ縦走した時に助けてもらったのが最初(縦走というほど大袈裟なもんではないか).地形図に赤線を入れる必要を教えてくれたのもこいつ.どこかへ出かける時は必ず持っていっていたが,実際のところ出番がなかったことのほうが遥かに多い.ナタと同じで,いざという時のための備え,お守りのようなものだ.むしろ初めての街で方角を知るのに重宝した.ライターのオイルが切れてしまい,こいつのレンズで火を点けたこともある.それを再現できそうにない位に擦り傷だらけになってしまっていたが,古くからの朋友であることに代わりはなかった.
物ローグを語らせたモノはこれですべて遷化し畢んぬ.残るはずのモノは残らず,やってることは微塵も変わらない自分だけが残って,無駄な時間と金とモノを消費し続けている.その引き換えに何を残せたというのか.nagajisのくせに何をか謂わんや,である.
カードを持たない主義の人に便利かも知れない.定額プリペイド式のクレジットカード.審査不要,ネットで申し込みコンビニで代金を払えば使えるようになるとか.もちろんORJの購入にも利用できる.
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美しい石垣に魅了された一日。これが西熊野街道、と言いたいところだが、そうじゃない。街道から派生する枝道である。枝道でさえこれなのだから本道は推して知るべし。
池穴橋を渡って帰ってきたところで、地元の人が「中原へ行った二人が帰ってきた」云々と言ってはるのを耳にした。彼の頭では「橋」がついていたことだろう。が、我々を見くびってもらっては困る。どこぞの芸人と一緒にしないでほしい。
今回はIさんに連れて行っていただいた。三里越えの話をするとぜひ行きたいと仰って。その御蔭で自分が大きな見逃しをしていたことを見せつけられる結果となった。無原罪の無限大の感謝を捧げる。
ラジオがしきりに宣伝していた「無原罪の御宿り」を「無限大の親鳥」と聞き違え、どんなサイケな現代美術なんだろう、本邦初というからには相当すごいものなんだろう、無限大をどうやって有限形に収めたのだろうと想像を巡らした過去がある。エル・グレコに顔向けができない。そんな仲間が世の中に百万人いる確信があるので敢えて検索せずに書いておく。
最後の最後にご挨拶が来ていることに気がついてしまい少々バタバタした。無事に発行したのでよしとしよう。
Minoh-Arima Electric Railway、すなわち阪急の前身の箕面有馬電気軌道、が開業前に発注した60ポンドレール。以前は曽根駅にもあったそうなんだけど、高架駅になったときにどっかいっちゃったみたい。桜井住宅地に用があって桜井に行った時に偶然見つけてちょっと嬉しかった。上り線ホームのもっとも箕面寄りの柱。(研究会では遥か昔に調査済み)
もうちょっとわかりやすい写真を撮りたかったけれども気づいた途端に電車が来てしまったのでぞんざいにしか写せなかった。
商店街の通りと府道99号に挟まれた一帯は何度か歩いているつもりなのだけど、改めてブラブラしてみたら、まあ出てくるわ出てくるわ。未見の怪しいやつもあったけど輸入品の可能性が高いので置いておく。岸和田煉瓦の漢数字添印とかは再訪してモルタル剥がしてみたい気がする。
そのあと旧能勢街道筋?を歩いて日成産業を見つけたりもした。日成産業の刻印煉瓦は藤井寺で見つけているので新規分布ではないけれども、あっちは手成形、こっちは明白な機械成形という違いがある。
岡町一帯はそんななのに、本丸たる豊中駅周辺では煉瓦を見ることすら稀なのが不思議だ。上野一丁目の辺りも岡町住宅地と同じ頃に開発された住宅地のはずなのだけれど。一箇所だけ溝が残っていたが刻印は確認できず、それどころか遊離転石もない。ごちゃごちゃ具合はそんな変わらないんだけどなー。
櫻井住宅地へ出かけたのはこれを再撮したいがため。六稜星と左ズレ〓らしいものが一つに押された煉瓦だ。煉瓦刻印を探し始めた最初期の頃に撮っていたはずなのだけどその写真が発掘できずにモヤモヤしていた。再撮したところでこんなだから、モヤモヤが解決するわけでもないんだけどね。
六稜星=津守煉瓦(or狭山煉瓦)、ズレ〓=合資会社時代の丹治煉瓦と推測しているけれども、じゃあこの煉瓦はどっちのやつなのさ? という問題を提起する刻印煉瓦である。こういうのが説明できない限り完全解明には程遠い。漢数字一を2回押したように見えなくもないけれど。
再訪した桜井住宅地では前回以上に多くの煉瓦溝を見つけることができた。由緒不明の「ロ」刻印だとか六稜星×2だとか和田煉瓦ゴシックだとたも見つけられた。煉瓦センサーの感度と刻印を探す技量だけは進歩しているようである。
海老江干潟の周辺が淀川左岸線工事のせいで立ち入れなくなっていることに気づかず1時間かけて歩いて無駄した。ksg
柴島干潟は+100cmの水位ではすっかり水没してしまう。脇に寄せておいたものをなんとか引き上げて清掃したが普通煉瓦が全部堺煉瓦の後期型だったのはちょっと解せない。もしこれが本当に上十三川橋梁M30のものだとしたら添印入の前期型でなければならないのではないか。
なので。
交通技術 9(10)(98)(1954.9)によればS28-29頃に上淀川橋梁上り線の橋脚が改築されている。その瓦礫が捨てられているものとすれば煉瓦はM34頃の堺煉瓦製ということになり、一応は上の状況に次ぐことになる。ただGSIの航空写真を見る限りではS23撮影航空写真とS36写真とでこの付近に大きな変化があったようには見えないのだな。
※現在の汀はこれよりさらに北へ移動している
ああそうか、上記工事の時に橋脚附近が洗われるような洪水を経験しているのだな。その時に高水敷が洗掘されたのでそれを復旧しようとしたのがS36の写真であっていいわけだ。S36写真には以前にはない段差工が複数作られている。ここで流速を落として自然に堆積するのを待ったものと思う(橋脚附近は保護のために埋め立てたとしても右側全部を埋め立てるような土はそのへんにないわけだからな)。
この付近で右岸側に流れが寄ってしまうと毛馬洗堰に水がいかなくなるのであんまり寄ってもらっちゃ困るわけよ。長良橋も左岸低水敷に堰のある時代のやつだったし。淀川大堰はS39。
_ あきら@大阪 [節子、それ外環ちゃう。中環や。]
_ nagajis [どうりで最近見かけないと思ったッ!]