トップ «前の日記(2023-12-14) 最新 次の日記(2023-12-23)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2023-12-16 [長年日記]

[橋梁][煉瓦] 上十三川橋梁問題

海老江干潟の周辺が淀川左岸線工事のせいで立ち入れなくなっていることに気づかず1時間かけて歩いて無駄した。ksg

柴島干潟は+100cmの水位ではすっかり水没してしまう。脇に寄せておいたものをなんとか引き上げて清掃したが普通煉瓦が全部堺煉瓦の後期型だったのはちょっと解せない。もしこれが本当に上十三川橋梁M30のものだとしたら添印入の前期型でなければならないのではないか。

M25~26
奈良線神武架道橋:かな添印
M29
北陸線山中トンネル:漢数字添印
M25~30
由良要塞:カナ添印
M33
狼川トンネル複線部:かな添印

なので。

交通技術 9(10)(98)(1954.9)によればS28-29頃に上淀川橋梁上り線の橋脚が改築されている。その瓦礫が捨てられているものとすれば煉瓦はM34頃の堺煉瓦製ということになり、一応は上の状況に次ぐことになる。ただGSIの航空写真を見る限りではS23撮影航空写真S36写真とでこの付近に大きな変化があったようには見えないのだな。 画像の説明画像の説明

※現在の汀はこれよりさらに北へ移動している

ああそうか、上記工事の時に橋脚附近が洗われるような洪水を経験しているのだな。その時に高水敷が洗掘されたのでそれを復旧しようとしたのがS36の写真であっていいわけだ。S36写真には以前にはない段差工が複数作られている。ここで流速を落として自然に堆積するのを待ったものと思う(橋脚附近は保護のために埋め立てたとしても右側全部を埋め立てるような土はそのへんにないわけだからな)。

この付近で右岸側に流れが寄ってしまうと毛馬洗堰に水がいかなくなるのであんまり寄ってもらっちゃ困るわけよ。長良橋も左岸低水敷に堰のある時代のやつだったし。淀川大堰はS39。


トップ «前の日記(2023-12-14) 最新 次の日記(2023-12-23)» 編集