nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
海老江干潟の周辺が淀川左岸線工事のせいで立ち入れなくなっていることに気づかず1時間かけて歩いて無駄した。ksg
柴島干潟は+100cmの水位ではすっかり水没してしまう。脇に寄せておいたものをなんとか引き上げて清掃したが普通煉瓦が全部堺煉瓦の後期型だったのはちょっと解せない。もしこれが本当に上十三川橋梁M30のものだとしたら添印入の前期型でなければならないのではないか。
なので。
交通技術 9(10)(98)(1954.9)によればS28-29頃に上淀川橋梁上り線の橋脚が改築されている。その瓦礫が捨てられているものとすれば煉瓦はM34頃の堺煉瓦製ということになり、一応は上の状況に次ぐことになる。ただGSIの航空写真を見る限りではS23撮影航空写真とS36写真とでこの付近に大きな変化があったようには見えないのだな。
※現在の汀はこれよりさらに北へ移動している
ああそうか、上記工事の時に橋脚附近が洗われるような洪水を経験しているのだな。その時に高水敷が洗掘されたのでそれを復旧しようとしたのがS36の写真であっていいわけだ。S36写真には以前にはない段差工が複数作られている。ここで流速を落として自然に堆積するのを待ったものと思う(橋脚附近は保護のために埋め立てたとしても右側全部を埋め立てるような土はそのへんにないわけだからな)。
この付近で右岸側に流れが寄ってしまうと毛馬洗堰に水がいかなくなるのであんまり寄ってもらっちゃ困るわけよ。長良橋も左岸低水敷に堰のある時代のやつだったし。淀川大堰はS39。