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2007-06-09 作業報告と懐古 [長年日記]

 やる気になった時に一気に進めておきたいところ。Readers・REARTYRE・広告 など短い記事・リンクのない記事を一気に片付ける。続いて「喪われた〜」の4本を総ざらえ。数字表記の統一、第一回の写真の解像度upと若干の文章修正、拡大リンク付加。

 今号(16号)から開き方のデフォルトを「全体表示」に変更した。それに合わせて変更しなくてはならない。特にしおり回り。今回のCDではしおりの拡大やリンク先が何なのかわかるよう色分けしたいと思う。

 しかしまあ、0608と0610は、何だあれば。0610なんかREARTYREさえないし。よほど死んでいたな>nagajis。もう思い出したくない黒歴史だが、これも定めじゃ。覚悟せい。

 11号の廃道36選は、何とかして81まで持っていきたい。これが#2最大の課題。これまでORJ誌上で紹介した道も含めて、かつ制限(道の廃道・隧道単体は含まない)を緩和すれば、残り45、何とかならないか。すでに「読者の〜」という目論見は成り立っていないし、今後も見込みがないのなら、形だけでも整えておきたい。1か月以上かかると思うが。

 もう一つ、解決しておかなければならない課題が一つ。#1のコンテンツに向けてリンクを張るにはどうしたらいい? コンテンツをHDDにコピーしてもらうか、仮想ディスクを作ってマウントしてもらうとかしないとリンクを作成できない。総目次とかどうするのかね。

[企画] Tシャツ

画像の説明 二題。2色使いに逃げてみる。一つは「廃」の文字をデザイン処理?(網点)して使おうという目論見。
画像の説明 拡大するとこんな感じ。時間がかかった割にはあんまりきれいではない... 他の利用方法を考えるべきか。"OBSOLETE"を黄色にしたのは仕方無く。しかも全然締まりがない。駄作以外の何者でもなさげ。文字を上に載せてスミフチにしたほうがまだマシかも知れない。

画像の説明 もう一つはロゴを使用したもの。こちらはまだ様になったと思う。いい加減罫線囲みは卒業したいけどな。

 こんなところでブツクサ言っても仕方無いが「デザインぼしゅーちゅーでちゅー」。そろそろ掲示板に書いておかないと。

[懐古] 2002年6月8日

 ようやく若もの広場を後にしたこの日。久しぶりの荷物付き移動で全く進むことができず。鍋谷峠を越えて大阪河内長野、そこから千早口まで登っただけだ。鍋谷峠はこれから登ろうとする峠が麓からまる見え。「あそこまで登らんといかんのか・・・」と思うと精神的に辛いものがある(特にこの頃のように、足が出来上がっていない時は)。記録では峠まで3時間近く費したことになっている。道もはっきりとは思い出せない。後に登った蔵王峠の風景と混同しているようだ。

 √480は大阪側では父鬼街道という名称らしい。和歌山側には明治大正の碑しか見られなかったが、父鬼には江戸の道標と道路改修記念碑を発見。河内長野の市街で晩飯を購入し、千早口駅近くにあるアスレチックなんとかを泊地候補として登ったが・・・廃止されて久しい「立ち入り禁止」地帯であった。諦めて林道泊。

 諦めて、と書いたけれども、この時・この場所は土地感が全く無く、目印としてアスレチック何とかを設定しただけだったと思う。あのへんまで行って、泊まれそうに無いならどこか別のところへ行けばいい。その次の目標物までの道筋で泊まれそうなところがあれば。そんな気楽な、一か八かな旅をいつもしてきた。そうしてこの日も古林道を見つけて泊まった。この旅で初めて納得の行く泊地だったはずだ。

 自分は自転車旅行をする時はいつもキャンプ場の類を避けている。出費を抑えるのはもちろんだし、夜中に隣で騒がれて眠れないという目に何度も遭っているから。あちらは一夜のお楽しみなのだろうけど、寝なければ明日が持たない自転車旅、これで暮らしていかなければならない身にとっては残酷刑以外の何物でもない。人に邪魔されてイライラするよりは、水道も電気もゴミ捨て場もない森の中で、人間以外の何かに怯えながら眠ったほうが遙かにいい。

 素性の知れない沢水で米を研ぎ、飯を炊き、カレーを作って喰う、寝る、走る。それが自分のやりたい旅。人間としての尊厳など、犬猿雉に呉れてやるわ。


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