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旧道倶樂部録"

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2007-06-23 [長年日記]

今日は特に報告することもなく。無駄話を書いて寝る。

次回の廃道を読むは「道路の改良」の「地方通信」について。3面記事的な情報が詰まった「地方通信」のダイジェストを作ろうという計画。さすがに一気には打ち込めず、T15〜S7、S8〜S16の2回に分けてお送りすることになる。

その他自分の担当については、1日のOFFが無事開催されればその報告(多分)。先日行った二之瀬橋を旧橋紀行に。TRDBは新しいネタがないなあ・・・。

その他、裏で極秘に進んでいる企画?がいくつか。

[懐古] 2002年6月22日

先日来からの蕁麻疹でロクに眠れず、寝たと思えば10時頃に目覚め。のろのろと荷を畳んで出発する。

あまり心地よい思い出ではないためretrospectではほとんど触れなかったが、ともかくこの頃はひどい蕁麻疹に悩まされていた。体中蚊に刺されたような跡ができて、それが見る間に広がっていく。昼間はそれほどでもないのだが、夜になるととたんに駄目。アレルギー持ちだといってもここまでひどいのになった記憶はない。何が原因なのかさえわからなかったし、今でもはっきりしない。そんな状況で旅を続けた。そもそもDead or Runのつもりで旅に出たのだし名。

この日は安楽越(写真)を越えて√477を北上、水沢峠の麓に泊。明日から鈴鹿山脈の峠群を尋ねて回る。いよいよ真骨頂。

手形と八十八才

先日までの懐古が飛ばし気味だったので振り返り直してみる。左は14日に明日香村で見かけたもの。右はどこだったか忘れてしまったが、桜峠と青山峠の間で撮っているから、21日、三重県の伊賀地方だと思う。

何でこんなものを撮ってたかというと、手形や杓子をまじないとして玄関口に貼る風習の話が柳田翁の著書にあったのを記憶していて(いま調べたら「水曜手帳」の「王禅寺」だった)、それが微妙に変化しているのが面白くて撮ってみたのだった。

翁が見たのは小さな子供の手形に「コノ手ノ子ドモハルス」等と書き添えられたものだった。厄病神が入って来ないようにというまじない。本来、手形は「その人」の証拠なのだから、それを押しておいて「ルス」というのはちょっといただけない。これでだまされる厄病神のほうもどうかしている。かといって子供の名を記して相手に知られるよりは具合がいいだろうーーー日本では古来から名前を知る・知られるということに呪術的な意味合いがあったからねーーー。厄を逃れたい人が誰かという表示としては最適解だったのかも知れない。私などはこのエピソードに(恐らくこの手形を貼った)母親のささやかな思いやりを感じる。

「コノ手ノ子ドモハルス」のほうは、疱瘡の神に恐れられたという伝説の人物の名前を記したり、鎮西八幡為朝御宿と書いたりして軒下に貼るまじないに端を発しているらしい。翁が武蔵野を尋ね歩いていた頃(戦前間際)にはそれが発展して、シャモジに子供の生まれ年と「コノ者十五ニナル迄クツメキ御免」と書き添えて軒下に貼る風習があったという。クツメキは喉の病気の方言だとかで私もよく知らない。なぜ杓子が選ばれたのかは別稿にあったと思う。母親という権力の象徴であり食=魂の配分にかかわるものとして霊力が認められていたとか何とか。そうした小道具を添えて、まじないを験あるものにしようと企てたものらしい。

古くは厄避けのまじないだったそれが、関西の山中では祝いのまじないになっている。翁が見た融合がさらにアウフヘーベンされて別物になっている所もある。それが面白く感じられたのだった。もちろん、自分の実家にはそういうまじないがなく、この旅で初めて実物?を見た。みなさんの中には「ああそれ普通だよ」という方もおられるのだろう。ちょっと羨ましく思ったりする。


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