nagajisの日不定記。
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そのくせ懐古は続く。いい加減動かないと苔が生えてしまいそうだ。ラジオの「昼から雨」を信じて午前中に八風、中峠を回る。
八風峠の峠道はあまり記憶に残っていない。retrospectに書いたルートも「そうだったけ?」という対象。ただ途中で猛烈な腹痛に襲われ、ここで事切れるかと思ったのは記憶にある。誰も助けには来ない場所・日時・天候。つくづく無駄な人生だったよな、と観念した。
けれども私の神は「もっと働け」と宣った。30分ほどで何とか動けるようになり、峠まで。真新しい風化花崗岩の白い谷。途中で道を誤って、峠でない鞍部に出てしまう。広場な峠。霧の中にいた。
田光軍人会による八風大明神の碑。簡素な鳥居が建っていた。東斜面から猛烈な勢いで霧が吹き上げてくる。オレハレイカイニキテシマッタ。
本当は東側に下るつもりだったが、腹のこともあって、大人しく縦走する。高低差の激しいアップダウン。霧。不思議と自転車の重さは記憶に無い。たどり着いた中峠の記憶もない。これで下るだけ・・・と思っていたがその下りこそが最大の難関だったのだ。
最初は2、3m幅の道がある。それを西に下れば、すぐに道が無くなって。道とも沢とも区別がつかない、まばらに広葉樹が生える、複雑な地形の谷に。斜面が小さな襞を形成して、どこを辿ればいいのか解らない。間違いの沢を辿れば確実に命が一つ減るだろうという斜面だ。そうして頼りの赤テープも途中で消える。
絶望的な状況になるほど「生」への固執は強くなる。そんな自分に現金ささえ感じるほど今は冷静だ。慎重に、慎重に下って行くnagajis。当然、自転車を引っかけて転倒したりするような愚もおかさない。
麓は今までの傾斜とは全然異なる平地であったと記憶する。綺麗に整列した杉林の中、一筋の道。抜ければ大きな川に出て。落書だらけの看板を見る(親切に所要時間やその訂正など書かれているが、地図にない地名ばかりで一切役に立たず。たぶん山高しか持って来ないのだろう。連中)
紫のテープを選んでゆく。地図にはない、小さな峠を越えていけば、さっき八風の麓まで登ってきた林道に出る。
淡々と下って、半分顔馴染みになりつつある杠葉尾のお店「ひろせや」で休。ああ、自販機あったな、あの角度で。
10.5kmの林道をゆく途中、再び腹痛。ひいひい言いながら、押し、休み、押し、乗り、休み、押し。帰ってきた茨川の、自分のテントの前には、自分が留守にしていた間にやってきたRV族が撒き散らしたゴミが待っていた。
人里離れた山の中で、人知れずブチギレたnagajis。記憶せよ諸氏。2002年6月30日、茨川にてゴミを放棄したRV族のありしことを。
お前等と同じニンゲンであることは、この日限りでやめてやった。
nagajis帰宅。みなさま、おつかれさまでした。ひとまず寝せてくれろ。