nagajisの日不定記。
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版下作成にかかる。構成は前回書いたような感じで、航空写真を基礎にして配置。左上に区間の概略を入れて、残りは写真+コメント。それでもスペースが足りなさげなので(特に閉塞隧道の辺りは)そこだけ別ページにするか。久しぶりにアーティクル使うかな。
そのほか写真をeps化する作業。点数が多いとこれが結構面倒だ。全て終えたのであとはガンガン配置して行くのみ。
日曜日の台風は(自宅周囲は)それほど大変なことにはならなかったのだけれど、太平洋に面した地域でかなりおおごとになったようだ。新潟では地震も加わってさらに大変なことに。お見舞い申し上げます。
そんななか、静岡県の蓬莱橋が流失[Googleニュース]というニュースも入ってきた。この橋は世界最長の木橋と表現されることが多いけれど、自分はむしろ作った人々のことにまず思いを馳せてしまう。大井川右岸に広がる牧ノ原は今でこそ茶畑が広がる土地だが、それを開いたのは明治という時代に取り残された旧幕府側の人々だった。曰く徳川家直参の武士たち、曰く大井川に架橋されたことで職を失った川渡し人夫。徳川慶喜の護衛隊だった新番組や彰義隊の生き残りも加わった。そうして数多の苦難を嘗めながら一大茶畑に仕立てあげたのだった。
最初の蓬莱橋は明治12年、その茶畑の茶を対岸の島田へ運び出すために作られたという。当時は簡易な丸太橋で、もちろん維持管理は開墾者たちの受け持ちだった。昭和33年7月の台風で壊滅的な打撃を受け、災害復旧事業として再建、40年4月に作られたのが今日の蓬莱橋。橋体は木製だが橋脚をコンクリートにして災害に耐え得るようにした。そうして今でも、基本は土地の人によって維持管理されている。人20円、自転車1台30円の通行料を取って(以上、参考文献:松村博・日本百名橋)。
今回のような流出はたびたび起こっていて、平成に入ってからでも7度も壊れ、今回で8度目だとか。また地元の方が懐を痛めなければならないことに、いらぬ気を揉んでしまう。
記録によるとこの日にようやく病院へ行ったことになっている。小さな皮膚科兼小児科だったと思う。診察の時には蕁麻疹がほとんど収まっていてアレだったのだが、状況を説明すると「激しい発汗や気温差により自律神経が参っていて、それが原因」と言われた。とりあえず謎の伝染病だったりしなかっただけ良かったが、しかしそれで腹が痛くなったり喉が詰まったりするものなのかは聞いてもわからんかった。さらに「薬を飲めばすぐに直るというものではなく、月単位で出たり引っ込んだりする。休養しても旅行を続けても同じ」との仰せ。うーむ、としか言いようがない(実際この蕁麻疹、旅行から帰っても長い間患っていた。最近は出なくなったが、そういやいつ治ったんだろう?)。
失礼な話だが、どうも自分はお医者さんの診断や薬なんかが信用できない。何に限らず「薬で治る」と思ったことがなく、成るようにしか成らんと思っている。そんな自分がその通りの診断をされて、ハタと困った。
とりあえずかゆみ止めの薬を貰ってーーーそれが何という薬なのかも忘れたーーー病院を後にしたが、それ以降はさほど激しい腹痛もなかったし、かゆみも少し和らいだような気がする。単に精神的な何かだったのかも知れない。