nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
ソクラテスとプラトンの対話。
ソクラテス「同じ荷物でもリアに積むと重く感じるのは何でやろね」
プラトン 「いきなり何やねん」
ソクラテス「ほら、自転車が後ろに引張られるっちゅうか」
プラトン 「人の話聞いてへんやろ」
ソクラテス「思うにあれ、リヤキャリアやとモーメントが発生するからやと思うんやわ」
プラトン 「対話ちゃうんかい」
自転車旅行では嫌が応でも自転車の重さ(荷物の重さ)のことを考えさせられる。特に峠を登っている時など。自分の食う食物あるいは自分が食うものを作るための道具あるいは自分が一夜を快適に過ごすための寝具が積まれているということは百も承知なのだが、極限状態下に置かれるとそんなことなど構っていられず、彼我の境地を乗り越えてあらぬ方向へ怒りが炸裂する。こんなに載せやがってクソが。誰や米5kgなぞ買うたんは重いんじゃボケ。ハンドル回されへん。次のコンビニで皆なほかしたる。出て来い責任者。と。そういう荷物への恨みつらみが募って余計に自転車を重くする。そうして峠に着き、下る頃にはもう忘れている。
在部時代に「リアに積むより前に詰め」という経験則を得た。リアが重過ぎると「後ろに引張られるような感じ」がして漕ぐ足が鈍った。そういう時、重いものを前に移せばーーー総重量は変わらないはずなのにーーーなぜか軽く感じるのだ。だからブスやピークワンなど重いものは必ずフロントやフロントサイドに入れた。リアはできればシュラフやロールマットだけに。4サイドで旅をする時も無意識に「後ろ一つはゴミ入れ」的な使い方をしていた。わざとかさばるゴミを入れて軽くしていたのだった。
あれは何だったのか。重心が高い故に左右に振る力が必要となるからか。あるいはただの錯覚、リアカーを引くか押すかの違いでしかないのか。見えない所で小人さんが加勢してくれているのか。峠に登りながら何度そんなことを考えたことだろう。
結局納得いくような答えは出ずじまいだったのだが、それが自転車旅をあまりしなくなった昨今、ようやく解ってきた。「モーメント」が作用しているのではないか、というものだ。
モデル化のため荷物を一つの質点と考える。フロントサイドは前輪のハブの辺り、リアはサイドとキャリア上の荷物を勘案して、タイヤの上辺あたりにあることにする。
ソクラテス「で、平地を走っとる時は単に支えとるだけやから、 仕事量はゼロや」
プラトン 「そういってあなたは何人の弟子を騙しましたか」
これが坂道にかかると、荷物にかかる重力は斜面からの反力に拮抗する成分(A)とそれに垂直な成分(B)に分解される。
ソクラテス「いわゆるひとつのベクトル分解や」
プラトン 「ほんまや」
最初はこの力Bが後ろに引っ張る力なのではないかと思ったが、そうではあり得ない。なぜならフロントサイドのBとリアのB'の和は結局は荷物の質量和に比例する。どちらが重かろうと軽かろうと変わらない。
ソクラテス「そこでモーメントですよ」
自転車のハブを支点と考える。フロントの荷物による力成分は支点そのものに作用するため何も起こらない。
プラトン 「適当なこと言うとるやろ」
ソクラテス「黙って聞き」
ところがリアの荷物はタイヤ円周上にある。坂道と水平の成分B'とタイヤ半径Rの積、すなわち回転力が生じるのだ。
ソクラテス「な、モーメントやろ。このモーメントが自転車を後ろ向きに回転させんねん。これが『引っ張られる感覚』の原因やで」
プラトン 「言いたいことはわかった」
プラトン 「で、何でおれがこんなしょうむない談義に加勢せなあかんねん」
ソクラテス「黙って聞き」
この回転力すなわちモーメントは、坂道が急になればなるほど大きくなる。
プラトン 「その前に、あり得へんわこんな坂」
そうして終いには転倒に至る。
ソクラテス「な、転倒したやろ」
プラトン 「あり得へんっちゅうねん」
落ちもなく終わる。哀れ、プラトン。
ワロタ。面白杉
ありがとうございます。頑張って書いた甲斐がありました(汗<br>しかし、どのへんが奇妙なポテンシャルだったか...