nagajisの日不定記。
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先日何気なくサーバのログを見ていたら、データ転送量が連日4GB/日を越えていた。「そういえば創刊号の公開日は2GB越えてビビってたっけなあ増えたものだなあ」と微笑ましい思い出に浸ったりなどしたのだが、よく見ると1ケタでかい奴がちらほら。MAXは1日40GB超だ。幾ら何でもちょっとどうかと思う。
そりゃ、DLして貰えるのはとても嬉しいし、ガンガンDLして欲しいけれど、使っているレンタルサーバ(xrea)は一応転送量制限がある。それほど厳密ではないそうだが1日1GBが目安で、それを超える日が続くと帯域制限かけられるらしい。ちょっとドキドキする。試しに今一つDLしてみたけれど、あからさまな制限はかけられていないようだ。
そもそも偶数月の1日前後がパルス的に増加するだけだし10GB台というのも連日続いているわけではないから、まあお目溢ししてもらっているのだろう(今まで警告をもらったことがないしね)。ありがとうエクスリア。すごいぜエクスリア。よろしくメカドック。と取ってつけたようなお礼を書いてみる。実際のところ、XREAの言う「負荷率」から言えば50%以下だしな。DLにCGIを使わない作戦が功を奏したらしい。
XREAのサービスは費用対効果という意味ではとても満足している。価格自体安いし、使える言語は豊富だし、国内サーバなので回線も早い。機能だって結構geekなツボをついている。個人的にもおすすめです>XREA。そのかわり倉庫代わりとアダルト利用はbanされます。商用利用も制限あり(CD販売のページみたく責任者の住所氏名の表記が必要。伊達に「それっぽく作った」わけじゃないのよ)。
話は飛びますがアンケートは今週末を目指して頑張ります。
先日会社で、メモを取るための裏紙を探しながら「裏紙裏紙」と呟いていたところ、その次に口を衝いて出た言葉が
浦上天守堂
だった。ウラガミウラガミ、ウラガミテンシュドウ。
咄嗟に裏紙で作られた荘厳なるキリスト教教会ステンドグラス付きが脳裏に浮かんで、それが物凄くツボに嵌ってしまい、自分でもちょっとどうかと思う位に笑ってしまって困ったことだった。しかも実際こうして書いてみると、これほど詰まらない口合いはないではないか。「うんこぶちゅぶちゅ」で喜ぶ幼児並みの反応に我ながら呆れた。
もちろん浦上天守堂の、キリスト教迫害にまつわる悲しい歴史も、原爆による被災も知らない訳ではない。異国の教義に反感を持っていたりもしないし、むしろ信仰の貴さ・信仰のある人への畏怖の念は持ち合わせているつもりだ。けれども咄嗟のイメージ、特に奇妙なポテンシャルを有するものに対して、自分は余りに無防備に過ぎる。
人は何に笑いを感じるのか。興味深いテーマである。よく言われるのは突拍子もない事象同士の結びつきに人は笑いを催すのだという説。これは今に限ったことではなく、例えば松尾芭蕉の俳諧連歌なんかもイメージの連鎖とその破壊を楽しむものだったそうである(一句一句が描写するシーンはどんどん移り変わって、シーンとしては独立しているけれども、それぞれの句の間に微妙な関連があり、またその関連を突拍子もないイメージの句を付けることでわざと覆したりもする。その「間合い」を楽しんだものらしい)。
もう少し突き詰めると、人はなぜ笑いを求めるのかというテーゼにも至る。戦国時代には笑い話をすることを専門職とする「伽の者」が、武将の側にはついていたという。平安末期には「今昔物語集」などという実例もある。「日本人は笑わない」とは異国びとの評だけれど、案外日本人ほど笑いを求めている人種はいないのではなかろうか。
まあ、裏紙天守堂については明るい笑いということで勘弁していただきたい。単にnagajisが変なだけやし。
…と、ここまで書いて「浦上天守堂って「うらがみてんしゅどう」なのかなあ」と不安になり検索してみた。結果、読みは分らなかったのだが、ちょっとどうかと思うものを発見してしまった。某地図サイトのユーザーコメントらしい。
ひなびた山村にポツンと建っている天守堂。ミサのオルガンの音が聞こえてくれば、気分はもう隠れキリシタン。
ちょっと、それは、余りにもどうかと思う。隠れ切支丹に謝れ。
「天主堂」「隠れ切支丹」・・・と言えば<br>「玄界灘の〜荒波寄せる〜・・・」という歌い出しの曲を<br>真っ先に思い出したりしますが<br>確かに「気分は・・・」って言うのはねぇ^^
清音の「うらかみ」のようです。「やまさき」・「やまざき」も迷います。
ありがとうございます>お2方。<br>これでメモする時も浦上天守堂に申し訳ない思いをせずに済みそうです。<br><br>ちなみに「気分はもう〜」というとまっ先に大友克洋のコミックを思い出す私です(読んだことないですが(大汗))