nagajisの日不定記。
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午睡の際深谷さんはさんヾやられたり。町田生徒監殿は十六泊の予定にて戸山学校へ行かる。一週間午後は裸体なるを許可せらる日夕点呼なく随意消灯なりき。今夜は必ず寝台襲撃行わるならん。図書へ行くと勉強を忘る故、行くまいと思う。
〔nagajis:寝台襲撃=ストームだろうか〕
先日何気なくサーバのログを見ていたら、データ転送量が連日4GB/日を越えていた。「そういえば創刊号の公開日は2GB越えてビビってたっけなあ増えたものだなあ」と微笑ましい思い出に浸ったりなどしたのだが、よく見ると1ケタでかい奴がちらほら。MAXは1日40GB超だ。幾ら何でもちょっとどうかと思う。
そりゃ、DLして貰えるのはとても嬉しいし、ガンガンDLして欲しいけれど、使っているレンタルサーバ(xrea)は一応転送量制限がある。それほど厳密ではないそうだが1日1GBが目安で、それを超える日が続くと帯域制限かけられるらしい。ちょっとドキドキする。試しに今一つDLしてみたけれど、あからさまな制限はかけられていないようだ。
そもそも偶数月の1日前後がパルス的に増加するだけだし10GB台というのも連日続いているわけではないから、まあお目溢ししてもらっているのだろう(今まで警告をもらったことがないしね)。ありがとうエクスリア。すごいぜエクスリア。よろしくメカドック。と取ってつけたようなお礼を書いてみる。実際のところ、XREAの言う「負荷率」から言えば50%以下だしな。DLにCGIを使わない作戦が功を奏したらしい。
XREAのサービスは費用対効果という意味ではとても満足している。価格自体安いし、使える言語は豊富だし、国内サーバなので回線も早い。機能だって結構geekなツボをついている。個人的にもおすすめです>XREA。そのかわり倉庫代わりとアダルト利用はbanされます。商用利用も制限あり(CD販売のページみたく責任者の住所氏名の表記が必要。伊達に「それっぽく作った」わけじゃないのよ)。
話は飛びますがアンケートは今週末を目指して頑張ります。
先日会社で、メモを取るための裏紙を探しながら「裏紙裏紙」と呟いていたところ、その次に口を衝いて出た言葉が
浦上天守堂
だった。ウラガミウラガミ、ウラガミテンシュドウ。
咄嗟に裏紙で作られた荘厳なるキリスト教教会ステンドグラス付きが脳裏に浮かんで、それが物凄くツボに嵌ってしまい、自分でもちょっとどうかと思う位に笑ってしまって困ったことだった。しかも実際こうして書いてみると、これほど詰まらない口合いはないではないか。「うんこぶちゅぶちゅ」で喜ぶ幼児並みの反応に我ながら呆れた。
もちろん浦上天守堂の、キリスト教迫害にまつわる悲しい歴史も、原爆による被災も知らない訳ではない。異国の教義に反感を持っていたりもしないし、むしろ信仰の貴さ・信仰のある人への畏怖の念は持ち合わせているつもりだ。けれども咄嗟のイメージ、特に奇妙なポテンシャルを有するものに対して、自分は余りに無防備に過ぎる。
人は何に笑いを感じるのか。興味深いテーマである。よく言われるのは突拍子もない事象同士の結びつきに人は笑いを催すのだという説。これは今に限ったことではなく、例えば松尾芭蕉の俳諧連歌なんかもイメージの連鎖とその破壊を楽しむものだったそうである(一句一句が描写するシーンはどんどん移り変わって、シーンとしては独立しているけれども、それぞれの句の間に微妙な関連があり、またその関連を突拍子もないイメージの句を付けることでわざと覆したりもする。その「間合い」を楽しんだものらしい)。
もう少し突き詰めると、人はなぜ笑いを求めるのかというテーゼにも至る。戦国時代には笑い話をすることを専門職とする「伽の者」が、武将の側にはついていたという。平安末期には「今昔物語集」などという実例もある。「日本人は笑わない」とは異国びとの評だけれど、案外日本人ほど笑いを求めている人種はいないのではなかろうか。
まあ、裏紙天守堂については明るい笑いということで勘弁していただきたい。単にnagajisが変なだけやし。
…と、ここまで書いて「浦上天守堂って「うらがみてんしゅどう」なのかなあ」と不安になり検索してみた。結果、読みは分らなかったのだが、ちょっとどうかと思うものを発見してしまった。某地図サイトのユーザーコメントらしい。
ひなびた山村にポツンと建っている天守堂。ミサのオルガンの音が聞こえてくれば、気分はもう隠れキリシタン。
ちょっと、それは、余りにもどうかと思う。隠れ切支丹に謝れ。
引田天巧かッ!!
原稿書き続ける。折り返し点が見えてきたような、そうでないような・・・書かなければならない文字量はまだ半分も行ってない。このへんから一気にスピードが落ちるだろう。というか校正が大丈夫なのか。全体像を意識しながらは書けてないからなぁ・・・
ORJも進めなければならない。TUKA氏修正、沢川修正。旧橋まで手が回らず・・・新規原稿も手付かず・・・ヤバい!辛い!だがしかし、進まねばならん!
もう9日か・・・。
承後のpdf化を開始。唐突な感じを片付けること(前はともかく後ろへの繋ぎ)と、転への繋ぎを書き直すことが課題として浮上。明日こそは片付けてしまわないと。
今更感たっぷりに読んでいる。やはり古典として名評があるだけある。一般教養として読むことを義務付けてもいいんじゃないか。いや、内容が正確無比だからとか自己反省になるだとかいうわけじゃない。自分(日本人)のことは自分自身にはわからない・自分以外のほうが本質を的確に見抜ける場合があるということがよくわかるので。他人の目を通して自分自身を客観的に見るという体験ができるところがよい。もっと早くに読んでいればなあと思う。
まだ半分しか読んでないけれどもいちいち頷くところがある。日本人は階級制度の中に居場所を求め、居場所があることに安心する。そんな階級制度を他国に押し付けようとしたのが太平洋戦争だと。アメリカはそれに対して自由主義を押し付けて対抗した。そら喧嘩になるわと思う。自由を守るためにどこへでも押しかけていって戦うという姿勢が50数年を経た今でも変わらないのが芯だよなと思う一方可笑しくもある。
恩すなわち債務だという説も膝を打った。端的でわかりやすい。道理で食いしばる歯が擦り減っていくわけだ。ただそれを単純に経済的な観点にあてはめられるだろうか。恩と義務とが金銭的損得勘定と直結しているだろうか。必ずしもそればかりじゃない気がする(結びつかないのが「仁」だったっけか)。
これが書かれた後、日本は世界に名だたる経済大国になったのだけれども、その劇的な変化も案外奇跡じゃなくて、昔からそんな180度転換がうまい民族だったのであって、必然だったのかも知れないと思った。明治維新とか大正デモクラシーとか。一度方向が変われば付和雷同して一斉にそっちを向ける国民性。同じようなファッションで同じような流行を追い人がしていることは自分もやりたい人にやらせたい長いもので巻いたげなければならないという性質は、国にとっては舵取りしやすかろう。
階級に安息しているんでなくて、それしか知らないから階級外に置かれた時に困惑する。いま自分は階級外にいても無視しても平穏でいられるようになった。いくぶんかは。その状態から何をするかが最大の問題。
訳がさすがに古いと感じた。もとの英文が癖がありそうな感じがする。直訳気味にしないと文にならないあの感じ。誰が意訳の上手い人が、平易な言葉で訳し直してみてもいいんじゃないか。
いつのまにか再建されていたのを知ったのがこの日。2014年11月の海山まつり?の時に再設置したそうな。「道路元標を尋ねて」の後に回収され、水没は免れていたようで、役場の倉庫に眠っていたのが奈良県近代化遺産総合調査で再発見された。
つっついた甲斐があったというものだ。
さらにむしゃくしゃしてやった。大阪大学経済学部近代物価史研究会編「明治期大阪卸売物価資料(4)」からデータを拝借。明治25年から45年までの並型中等煉瓦の卸売価格をプロットしたもので前掲のピンクのにつながる。原典データの出処もほぼ同じ(大阪商業会議所発行の月報とか物価表とか、前日のは同所の統計年報)なので数字の質や精度はそれなりにあっていると思うが
・明治31-44年は1月につき上中下期の卸売価格とその平均値が載っているので平均値のほうをとった
・なぜかM37.12~M38.12は上期のみ掲載で平均値も=上記の価格。
・M43.5の平均値は月報掲載値と上中下の平均値が異なっていて原本が間違っているらしい。上表では上中下期の平均値にした。
明治30年頃にピークがあるのとM30設立の煉瓦工場が多いのが(会社設立して生産に至らんかったやつも多いのが)対応しているのが興味深い。煉瓦造りが金儲けになると知って慌てて参入したものどもである。して供給過多となり煉瓦価格は低迷して会社も減ったとは大阪府誌@M34にも書かれてある通り。
明治40年代のピークは何だろう? 日露戦争の戦後復興にしては少し離れているきがする。でも大正8年にピークがあったのと同じ現象なのかもしれん。起業熱高まる→会社設立→工場建設となると多少タイムラグが生じてよい。M30も日清戦争から数年外れてるんだから賠償金をかんがえたりしたらまあそんなもんか。
それにしても大正9年のピークがでかい。このグラフと前日のグラフは縦軸が二倍近く違うんだと二馬身の老婆心がいう。
足りない奴はすべて市立図書館にある。ブラボー。でも行く時間がない。
ボボ・ブラジル
から
ほぼ・豚汁
を連想するところまでは速かったのだが、じゃあ大体豚汁なものとはどんなものだろうという想像が捗らず、10秒ほど費やしてしまった。老化が進行しているようである。
豚肉を入れたあさげ
あるいは豚汁という選択肢を採らずに
保母・ブラジル
で際どい衣装に身を包み踊りまくる保母さんというのでもいいかと思ってみたりしたが、現実にはいそうにないのであまり面白くはないだろうと思い直した。
そのあと始めの選択肢に戻り、もう一段階の連想をしたはずなのだが、思い出せない。いよいよダメかもわからん。
以前も真夏の暑い盛りに桂川橋梁へ行ったはずなのだが、全然懲りていないのか、暑さがベルになって条件反射するのか、ともかくその方面へ。各橋梁の煉瓦の寸法を測る。
たぶん全然スッキリしないデータになっているはず。構造物を構成する煉瓦の寸法を測るのは誠に困難で実り少ない。同一煉瓦の長さ―厚さor小口ー厚さをグラフにしたら比例関係になるはずで、その傾向が確かめられたようなぼんやりとした印象を得たくらい。厚い奴は確かに長い。
明確に2・1/4inchなやつと2・1/8くらいのやつとがあってスッキリしない。長も9inchきっかりかと思えば足りなかったりして。どれかに並型が現れそうな気もする。
煉瓦探しやその他の目的で見知らぬ町を歩くことが、以前は心底楽しく思えていたのだが、回数を重ねるごとに悲しく思うことが多くなっているような気がする。自分とは縁のない幸せそうな暮らし。寂れた暮らし。中で何が行なわれているのかわからない暮らし。誰一人私を知っちゃいない世界がこの世界のほぼ100%を占めているという至極当然なことに気づくと急に空恐ろしくなってしまう。もしこの道端で行き倒れても誰も看取ってはくれないだろう。保険所に通報されるどころか気に止められることもないかも知れない。腐って枯骨になっても気づかれないかも知れない。そんな想像をしてしまう。この街は自分の居るべき場所ではないと強く思われ出して、かといって帰る我が家も我が物には非ず、そもそも所有している物が私自身ではないのだし、否自分自身の価値もないのだと思い出される。身一つすら持て余している自分、しかし自分以外に身を任せられる相手は居ないのだった。
知らない町を歩くというのは自分の見識の狭さを思い知らされる行為である。社会の広大無限さを思い知らされる行為である。そこへ進んで入っていける体調−−−気分の調子だから気調とでもいうべきか−−−の時とそうでない時があるのかも知れない。歩くのが嫌になったのではない。世界を嫌と思う瞬間が徐々に増えていることに危機感を覚える。かといって同じ暮らし同じ行動の繰り返しも耐えられない。じゃあどう住んだという時に解が見当たらないので困っている。
今回わかったこと
_ 学生服のヤマダ [「天主堂」「隠れ切支丹」・・・と言えば 「玄界灘の〜荒波寄せる〜・・・」という歌い出しの曲を 真っ先に思い出したりしますが 確かに「気分は・・・」って言うのはねぇ^^]
_ やの [清音の「うらかみ」のようです。「やまさき」・「やまざき」も迷います。]
_ nagajis [ありがとうございます>お2方。 これでメモする時も浦上天守堂に申し訳ない思いをせずに済みそうです。 ちなみに「気分はもう〜」というとまっ先に大友克洋のコミックを思い出す私です(読ん..]