nagajisの日不定記。
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TRDB、3Pで2MBにも満たない超ショートバージョン。手抜きではなく写真の説明をポップアップで統一してみた結果だ。周辺情報は以前の探近土でやったしね。
廢毒も前説後説を大幅にカットして記号メインにした。nagajisの余計な解説から切り離して前号分と合わせて一つにしたほうが使い勝手がいいかも知れぬ。必要とあらば作りますんでnagajisあっとthe-orj.orgへ個別にpushを。
OFF用追加調査。戸倉の全容を把握。あとは現地に行くだけだ。
沢川は昭和38年の地形図で破線道になっていることを把握したのみ。あれ、廃止はまだ後のはずだが? 違う場所を通っていたのか??? 待避線が本線の2倍以上もあるってあり得るのか?????? 等々、不明点が多い。場合によっては4日と5日を入れ替えて実施するかも知れない。
(#45からつづく)
私はイワッキー氏の言葉に涙した。なんという洞察力であろうか。例えそれがステレオタイプなものであったとしても、ターバンを巻いたインド人の顔がこのパッケージには最も相応しい。いや、このストライプにはインド人の顔が「なければならない」。ステレオタイプであるが故に成功するデザインというものもあるはずで、このパッケージは特にそんな場面であるように思えた。ともかくインド人の顔がなければならず、従って、この日のカレーもメタル食品のインドカレーでなければならなかった。そこには必然性があった。後の私とメタル食品のインドカレーとの関係を決定付けるかのような必然性が。
衝撃的な出会いによって買い物籠に放り込まれたカレールー。これだけでも非常にあり得ないものであったのだが、その晩ににもまた、印象を深める出来事があったのだ。出来事、というよりも購入した以上必然的に発見されなければならないであろうあるものとの出会い。
夜になった。食事の時間だ。おもむろに肉を切り野菜を切り、大鍋にそれらが放り込まれる。水を貼り、当時はまだまだ現役だったホエーブスで煮込み始める。夕闇に溶けていく大鍋のシルエットと、それを青黒く、時にオレンジに浮かび上がらせる整備不良のブスの炎。滾る水を眺めつつ、ルー投入の頃合を見計らう。
そろそろいいだろう。おっと、そういえばルーを切るのを忘れていた。この時になって始めてパッケージを開封する。中身はプラ・ケースではない。アルミ袋に包まれたブロックだ。あれ、珍しいな、こういうのもあるんだと思ったのも束の間、開けた袋から顔を出したルーには、カレールーの裏には、こう刻印されていたのである。
割りやすいよう6つの区画に分けられたルーの区画区画に「メ」「タ」「ル「カ」「レ」「ー」と刻印されている。太くもなく細くもなく、きわめて明瞭なエッジを描いて、刻まれている。メタル。かつカレー。それは「煮込めるものなら煮込んでみろ」という挑戦状のように−−−一瞬だけ−−−思えて、手が止まったのを覚えている。食品に文字を刻む、という例はグリコのプッチンプリンの例を挙げるまでもなく普遍的なものではあるが、カレールーという、姿形を留めることのない食品に対してそれがなされているという所に、侘び寂びを感じたりもした。
続いて訪れる無言のクエッション・タイム。なぜ「メタル」「カレー」なのか。よく考えてみれば「メタル」+「カレー」であって会社名を表すものでもルーの区別を示したものでもない。なぜ「インド」+「カレー」ではなかったのか。もっと刻むべき言葉があるのではないか。上半分を入れるとルーの粘度が変わるという仕掛けかも知れない、と思ったが箱にはそんなことが書かれていない。いやいや、鉄分が多く含まれている可能性がある。語感からしてランタンセリウムプラセオジム辺りのレア・メタルが入っていそうな塩梅じゃないか。
はっと我に返った。このルーを煮込んでしまうのは、惜しい。そう思った。けれどもそれは叶わぬ思いだ。目の前には煮えたぎる肉と野菜たち、そして腹を空かせている班員が待っている。このままおもむろにパッケージへ戻し遁走したりしようものなら何をされるかわかったものでなく、それ以上に異常行動はマークされがちな新歓ランの最中である(その理由を説明しようとするとさらに長くなるので割愛する)。何事もなかったかのように鍋に投入するほか、取れる行動はない。
暗闇のなかでの出来事であったため、刻印の齎した衝撃は私一人が独占する結果となり、その結果として一人のメタル食品のインドカレールーマニアが誕生することとなった。そうして事あるごとに(すなわちカレーを作る時はいつも)メタル食品のインドカレーを購入してしまうような、そんなルーマニアだ。
ただし、ここで断っておかなければならないことは、それほど旨いカレーではなかった、ということだ。肉や野菜その他の塩梅を調節して「味」を出さなければボンカレー以下の味となる。時たま自炊し時たまカレーを作る程度の大学生に作らせれば間違いなく失敗する類いのカレールーである。それはそれで玄人向けという評価をすることもできるだろうが、まさにそういう大学生であった私は玄人にはなれなかった。
メタル食品のインドカレールーの奥深さはこれだけで終わるようなものではない。最初に出会ったルーは「大」パッケージであったのだが、のちに10皿分相当の「小」パッケージがあることを知った。しかも、裏はこうなっていたのだった。
10皿分と断っておきながら8等分した挙げ句にアンチシンメトリック。ギリシャの昔から左右対称=神の象徴であったことと考え合わせれば、神をも恐れぬ所行のカレーという他ない。ちなみにパッケージ裏には「海の向こうのインドのカレー」というキャッチフレーズが書かれてあった。韻が似ていなくもない。
メタル <br> カレー<br><br>何も考えずに笑った。