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2008-08-04 古文書の件 [長年日記]

[廃道本] コレです

昨日の古文書の件。少しバックグラウンドの解説をば。

古文書は文久11年、野麦街道近道(中ノ洞村高根村境)を独力で開削した渚村の市蔵・弥吉親子に対して高山陣屋から報賞が与えられた件の資料。13点ほどある書状のなかから開削した新道の絵図2枚と関連深そうな1巻を撮影してきてある。

最も知りたいのは2枚の絵図の位置付け。ひとつは見事に彩色されていて、連判に市蔵の名前がある?から市蔵側の提出した清書のようなものじゃないかと思う。が、本当にそうなのかが不安。また絵図部分に貼られた付箋の内容が知りたい。恐らく「岩切 ●間 高●尺/巾●尺」のように個々の工作についてを細々記しているものと思うが、朱の注釈や長文が書かれたものもあって、このへんがよくわからない。

それぞれ写真をクリックするとバカデカイ写真になります。細々撮ってますのでとりあえず代表的なものを一枚ずつ。

画像の説明画像の説明彩色された一枚。

画像の説明上記の部分拡大。この朱書きがよくわからない。左から3枚目のふせんも微妙。「●地 拾●間半 高六尺/巾六尺」??

画像の説明画像の説明もう一枚の絵図は墨書きでザザッと書かれた感じ。上の絵図と見比べてみても道形には大差なく、下書き用?現地でスケッチ?かと思う。どうなのだろう。

書状一通についてはちょっと長いので今回は割愛。せっかく解読していただいても使わない可能性があるし・・・。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]
_ TUKA (2008-08-04 18:47)

これは難問・・・<br>> 3枚目のふせん<br>「ち浚 拾四間半」 かな?<br>「岩切」に対して「地浚」とは何ぞや?

_ multi (2008-08-04 20:54)

ち浚は浚渫の浚で地を浚うという意かなと思います。<br>左のふせん、岩切の寸は、高三尺 處(処)ニヨリ三尺五寸<br>という意でしょうか。<br><br>朱書の一文字目がなんだろう。<br>●六尺五寸 立成ル處(処)だと思うんだけど・・・<br>五體字類とにらめっこ中です。

_ nagajis (2008-08-04 23:59)

ありがとうございます>皆様<br>確かに岩場だけでなく土崖もあったように思います。なるほど!

_ はー (2008-08-06 21:22)

ち浚は高と巾なので、岩切も高と何かのサイズのような気なしますが、處に見えるし・・・<br>朱書の一文字目は外でしょうか。

_ はー (2008-08-06 22:09)

右者中洞村ヨリ中之宿村迄字地■尾上道拾弐丁程有此候共難場ニ付■■ヨリ■■三月下旬ヨリ十月上旬頃迄者<br>人牛馬通■■■候得共■■者山上風烈敷往来難相成右下タ道之■七八丁■■■候場所ニテ■■道巾狭く<br>巾弐尺五寸位ヨリ六尺程之場所も有之■■道形と申斗ニテ漸足掛リ有之候斗之場所弐ヶ所有之其所江■■■ヨリ縄■■■<br>岩角に結付右に取付漸く通■■■■候岩■ニテ牛馬者年中通■不相成■■夏■■■■■■秋迄者漸通行■■<br>旅人等者中々■■有之候處右弐ヶ所之難場を通■出来兼候場所ニテ冬等者旅人往来無村ヨリ村江。。。<br><br>疲れたのでひとまずここまで


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