nagajisの日不定記。
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昨日の古文書の件。少しバックグラウンドの解説をば。
古文書は文久11年、野麦街道近道(中ノ洞村高根村境)を独力で開削した渚村の市蔵・弥吉親子に対して高山陣屋から報賞が与えられた件の資料。13点ほどある書状のなかから開削した新道の絵図2枚と関連深そうな1巻を撮影してきてある。
最も知りたいのは2枚の絵図の位置付け。ひとつは見事に彩色されていて、連判に市蔵の名前がある?から市蔵側の提出した清書のようなものじゃないかと思う。が、本当にそうなのかが不安。また絵図部分に貼られた付箋の内容が知りたい。恐らく「岩切 ●間 高●尺/巾●尺」のように個々の工作についてを細々記しているものと思うが、朱の注釈や長文が書かれたものもあって、このへんがよくわからない。
それぞれ写真をクリックするとバカデカイ写真になります。細々撮ってますのでとりあえず代表的なものを一枚ずつ。
上記の部分拡大。この朱書きがよくわからない。左から3枚目のふせんも微妙。「●地 拾●間半 高六尺/巾六尺」??
もう一枚の絵図は墨書きでザザッと書かれた感じ。上の絵図と見比べてみても道形には大差なく、下書き用?現地でスケッチ?かと思う。どうなのだろう。
書状一通についてはちょっと長いので今回は割愛。せっかく解読していただいても使わない可能性があるし・・・。
これは難問・・・<br>> 3枚目のふせん<br>「ち浚 拾四間半」 かな?<br>「岩切」に対して「地浚」とは何ぞや?
ち浚は浚渫の浚で地を浚うという意かなと思います。<br>左のふせん、岩切の寸は、高三尺 處(処)ニヨリ三尺五寸<br>という意でしょうか。<br><br>朱書の一文字目がなんだろう。<br>●六尺五寸 立成ル處(処)だと思うんだけど・・・<br>五體字類とにらめっこ中です。
ありがとうございます>皆様<br>確かに岩場だけでなく土崖もあったように思います。なるほど!
ち浚は高と巾なので、岩切も高と何かのサイズのような気なしますが、處に見えるし・・・<br>朱書の一文字目は外でしょうか。
右者中洞村ヨリ中之宿村迄字地■尾上道拾弐丁程有此候共難場ニ付■■ヨリ■■三月下旬ヨリ十月上旬頃迄者<br>人牛馬通■■■候得共■■者山上風烈敷往来難相成右下タ道之■七八丁■■■候場所ニテ■■道巾狭く<br>巾弐尺五寸位ヨリ六尺程之場所も有之■■道形と申斗ニテ漸足掛リ有之候斗之場所弐ヶ所有之其所江■■■ヨリ縄■■■<br>岩角に結付右に取付漸く通■■■■候岩■ニテ牛馬者年中通■不相成■■夏■■■■■■秋迄者漸通行■■<br>旅人等者中々■■有之候處右弐ヶ所之難場を通■出来兼候場所ニテ冬等者旅人往来無村ヨリ村江。。。<br><br>疲れたのでひとまずここまで