nagajisの日不定記。
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昨日は中編2+ネタ候補?をupしている。今日は小編3、中編1。ORJのように「書きたいことを書きたいだけ書く」というのをやっていると、一定の文字数内に収めるというのが(以前にも増して)苦痛になってくる。かなりオーバーしたところから削り込んでいくから効率も悪い。ぎゅうぎゅう詰めの文章になっているのが自分でもわかる。そのくせ余計な引用は潤沢に引用してたりするしな。え。どうにかならんもんかいな>nagajis(文字数制限がヤだからORJやってるともいう)
中編は、もっともっと焦点を絞り込んだほうがいいかも知れぬ。せっかくチョイスしていただいた写真が無に帰することになるかも知れないが。
そうそう、大事なことの連絡も。反映させていただいてます>TUKAさん&ヨッキ氏
市蔵親子が拓いた新道のハイラト部分、2カ所の岩切通し。ここは切り通しよりもその周囲にある付箋が気になります・・・。切り通しの手前(川側)にも道を示す赤線が書かれてあって、ふせんには「右道」?と書かれてある。綱も描かれている。切り通しだけでなく、その切り通しを迂回するための道も作ったのか・・・?
また、2つの切り通しの間には石垣が描かれている。ふせんはその石垣を説明するものと思うのだが・・・。
絶賛他力本願中で申し訳ありません。皆様御教示お願いしますm(_ _°)m
話の腰と論争はこちらから折(れ)るべし。そういう人生訓なわけがない。岐阜市内でもう一つ発見があったのを忘れていた。
前回#54と似たフレーバーがする。「昼からゆうぐれ」という純和風かつ至極曖昧な表現にまず目が行って、それで全部を読んでしまったわけだが、最後の一文字を読んだ時点で腰砕けになってしまった。
八月三日(日曜)昼からゆうぐれ
みんなメルサ広場へ行くよ
(強調筆者)
たった一文字の「よ」が巻き起こす解釈のカオス。張り紙の主は何を言わんとしたのか悩む。
惜しむらくは、この写真のことを思い出したのはついさっきのことだ。すでに8/3のゆうぐれは終わっている。メルサ広場で何が行なわれたのか。「そして」の続き並みに気になると同時に、張り紙の主の思うつぼに嵌ってしまっている自分が憎いよ?
古文書#2>右道ではなく古道ですな。書き出しが計不(けふ=今日)〜で始まって・・・<br>左下のふせんは古道施難場之・・・??<br>右上のは岩●岩尓(に)丸木を渡・・・<br>ちょいと時間が必要ですなぁ。
「切通石桟道」みたいに見える部分があるかも知れない気がする。
古道の付箋に丸木をどうのとの記述があるように見えます。<br>掛け軸を見ているようですね。。。
中之宿村中洞村境のロープのところの付箋<br>誤読御免<br><br>此所古道極難場ニ付岩角ニ<br>○長(弐間)<br>○縄を結付(置)右縄ニ取付通行<br>■来候処■■■之通岩切通<br>道ニ相成申候<br><br>○は「長弐間」が「縄を結付〜」の前に入るよ、という<br>記号です。()内は怪しいところ。
中央上の付箋<br><br>古道<br>此所岩ヨリ岩江丸木を渡漸通■<br>■■候処繪図面之通所浚道に相成申候<br><br>さっきの■■■も「繪図面」でいいと思います。
うーむ、まだまだ勉強が足らんようですな。<br>ムリに変体仮名に読もうとしてるようでして。
皆様相忝奉存候。おかげさまでかなり正確に把握できそうです。<br>もともとこの場所には野麦街道近道があって、<br>その難所を市蔵が改修したわけですが、<br>旧道を拡幅(地浚・岩切・岩切通)したということで、<br>縄の描かれた道がすなわち改修以前の近道だったわけですね。<br>丸太を渡して漸く渡っていた箇所も旧道と。<br>#1の全体図の上のほうに、この尾根をまるまる乗り越えていくような道が描かれていたので、これが旧道だと思っていました。<br><br>岩切通しの間の「丸太渡し」は、TUKAさんの読んだように「石桟道」のような気がします(市蔵が石桟道にした)。<br>コノ人はサンズイをもちっとにょろっと書くようです。<br><br>#ちょうど神岡の越後街道のアレみたく・・・<br>#ttp:.//www.the-orj.org/document/DSCF5781.jpg