nagajisの日不定記。
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佐和山でボートを漕ぐOFFは廃道巡の延長なんだが(なぜ延長なのかは海田ッヶ?)、深く考えずに「せっかくだから扁額拓本をとろう」と思い付いたうえに前泊乗り込みを企図したのが自縛の縄だった。ボート+ラッペリング装備+テント一式+自転車を運ぶのは地味に大変だ。当たり前だ。
29日の昼前に出発。途中滋賀県立図書館に立ち寄る。以前見つけて忘れて思い出した近衛歩兵第一連隊史を読むことが第一の目的。しかし補充大隊附属第二中隊って何やねんというところがわからずじまい・・・核心部分と思われるものをコピーして、あとでじっくり読もうと思ってそのままになっている。これを終えたら読もう。
せっかくなので他も物色していたら、大正六年の陸軍大演習の記録が出てきた。連隊史よりもこっちばかり読んでいたような気がする。1000ページを超える大巻。
陸軍大演習は開催地にとって非常な名誉であると同時に天地がひっくり返るような大事件だった。この本を読むとそれがよくわかる。たった3日間の演習のために3月4月からわっさわっさして、あれこれ規則を設けたり必要な施設を新築したり改修したり。半年前に開催地を決める(それも事前通知なしで)というのも地方のそういう能力を試すためじゃなかったっけか。滋賀県の場合は正式な通知がある前に内示があったみたいだが。
大正六年の陸軍大演習に興味を持つ理由はまたいつか詳しく述べる(そればっかりだな最近)。要は撤去された家棟隧道が本当に陸軍大演習のために作られたものだったのかどうかの確証が欲しかったのだ。結論からいうと「表向きにはそうなっていない」。確かにこの時中山道が移動ルートに使われていて、隧道のあった場所(辻町−小堤間)が修築されていて、改修費用も他とは数倍−十数倍する5000円強の改修費用がかけられている。が、隧道を作ったとまでは書かれていない。5000円でアレが出来たのかどうかも検討しどころだ。
そもそも宮内庁が出した大演習の実施要項?には、華美を避け、道路修築も必要最小限にするように、ということが明記してある(汚らしいからといって沿道の建物を改築したり布で覆ったりするようなことをするな、ともある)。それからするとわざわざ天井川隧道を作るのは聖意に背く規定違反ということになる。大演習を意識して作ったものの、おおっぴらには書けなかったのかも知れない。状況証拠としては大演習に合わせて作ったことは間違いないのだが。そのために(そのためだけに)遠山呼んできたのは間違いないのだが。遠山でなければならなかった理由も。ネタは上がってるんだからな>博愛ッ
ひどく脱線した。それで夜7:30頃彦根着。その日の晩と翌日朝昼+αの買い出しを、駅前の平和堂でした。ちょっと奮発して「こんだけ買えば豪華極まる野宿だぜイェア!」というラインナップ計1310円分。そっくりそのまま店に置き忘れてきた。トイレに入る前に入口に置いて、そのまま出てきて、気づいたのは閉店時間後だったという。超のつく阿呆である。
閉店後、裏口の事務室に行って尋ねてみたのだけれど、こちらが申し訳なくなるくらいに親切に対応していただいて、さんざんお手間をかけた挙げ句、見つからないし届けもないということで、泣く泣く諦めた。どこまでも迷惑ないきものだ>nagajis。結局コンビニでレトルトボンカレーほかを買い直した。
泊地は佐和山隧道前の廃屋脇。野宿には最適な気温および湿度で、食事が寂しい以外は大変いい泊まり心地であつた。泣。
翌日は8時頃からあれこれ準備。ゴムボートを設営するのに時間がかかるだろうと踏んでいたのだが、パンクしているのを発見したうえ、タイヤ用のゴムのりでは補修できないことが発覚してしまい、相当慌てた。電車で合流する辰さんを駅に迎えに行くついでに何とかしようと思ったものの、当の辰さんとはすれ違いになってしまったうえ、接着剤が買えそうな場所が2kmほど離れたダイソーしかなく、そのうえ10時前から雨が降り出して、こんな時に限って折り畳み傘しかもって来ていず、歩いていったものだがら小一時間以上かかったりなどして。考えてみればこの辺りでもうツキが尽きていたのかも知れない。
佐和山に帰ってきたのが11時過ぎだったか。謎の自衛官氏、辰氏、multi氏がすでに集合。幸いなことにこの時点で雨が上がり、以降撤収するまで持ってくれた。そのお陰で扁額拓本をとることもできたのだった。
写真提供・謎の自衛官氏
写真提供・multii氏
米原口扁額は採りやすい高さにあり、multi氏がチャレンジされたのだが、思った以上に風化が進んでいたせいでうまくいかなかった。ラッペリング装備が必要な彦根口は自衛官氏の強力な協力のお陰で何とかモノになった。パンク修理したボートもうまくいった。しかし、それらが一段落して、nagajisが独りでボートに乗っている最中、ブシューという音を立ててパンク。なんでやねん(泣。経年劣化であちこち痛んでいるようだ・・・。
補修はしたものの乾くのに時間がかかりそうでもあり、またボートの片づけに時間がかかることもあって、4時過ぎに撤収を開始。終えた頃にみつさんが合流され、残念ながらボートにお乗りいただくことはできず。次回また別の何かを用意しますので...ごめんなさい。帰りは自衛官氏が大津まで送ってくださり、お陰でかなりの節約ができたものの(感謝ですぅ)、やはりあの荷物でJR山崎→阪急大山崎乗換などするべきではなかった(とはいえ大阪駅まで行ったところであの大階段登らないといけないんだし。どっちもどっちだろう)。帰り着いた頃には何もできない位に疲労し尽していた。
Mさんを柱本にご案内する約束があって、紀見峠駅10:00集合だったのだが、目を覚ますと9時20分だった。激しく動揺した。携帯番号を伺い損ねていたうえに紀見峠駅は無人駅。連絡の取りようがない。腹をくくって柱本へ向かった。電車の乗り継ぎは非常にスムーズに行ったものの、着いたのはやっぱり11時過ぎ。駅にはおられず、先に隧道へ向かわれたのだろうと考えて現地へ急いだ。そうして隧道前で追い付いた。つまりゃー案内になっていないnagajis。うえに塞がれていたという。やあやあ何かバチが当たるようなことしたっけか俺・・・。ここまでツイてないと笑うしかない。
しかしMさんと奥さんが寛容な方で良かった。いろいろ案内するなかで教わったことも多いし、少しはお役に立てたようだった。何かに生かさなければと思う。
総合すると、運不運のメーターが両極端に振り切れるような目まぐるしい3日間。考えてみれば5月末〜6月頭はいつもこんな感じのような気もする。梅雨を目前に控えて、今のうちにいろいろ片付けておこうと躍起になって、それが裏目に出るというパターンの。何もせずじっとしているのがいいのかも知れないが、何も起こらない人生というのも退屈だし、いちピエロとしての職務を全うせねばならないというのもあるので、そうもいかない。人様に迷惑をかけない程度に波風を立てて梅雨を乗り切ろうと思う(とかいいながらすでに立っている波風)