nagajisの日不定記。
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柏木以南の部分を書いているのだが、累積日数としては何日もかかっているはずなのにちっとも進まない。あとで困らないよう沢山写真を撮ったのが裏目に出たようだ。
現状のフォーマットでは一写真につき200文字くらいは必要になる。たった200Wだがなかなか埋まらない。最初のほうはいいのだが後半どんどん言葉が足りなくなる。場面場面はいい写真なので(なのだと思っているので)使いたいのだが、それに見合う解説文を破綻すること無く入れることができない。この辺りに素人の赤坂見附が垣間見える。
ルポを書く時、こういうパターンで悩む場合と、それとは正反対に様々なイメ−ジが湧いてきて、それを言葉にするのに悩む場合とがある。後者はまだ楽だ。書かなければ済むから。無い所を無理繰り紡ぎだして見せることは難しく、そもそもそうやって紡ぎ出したwordsはツクリゴトでしかない。
写真に頼らず、言葉で何とかすべき場面なのかも知れない。しかし能力的にそれが可能だとも思えない。この区間は第一期街道という確信が持てないまま歩んでいた場面が多いというのもややこしさを加速させる。
写真を取捨選択するのが最適解なのだろう。この日の探索は迷ってばかりでMission Imcomplete!だしなぁ。それを全面に出して後の伏線にするのもありかなあ。幸いなことに時間だけはたっぷりある。せいぜい独りで悩んでくれ給え>nagajis
予報の通り午後からしとしと雨になった。やはり梅雨は明けていないようだ。先日はあんなにカラッとした空気だったのにな。
気圧配置とか梅雨前線とかいう概念のなかった昔は、梅雨明けをどのようにして把握していたのだろう。ようけ雨降るなあ=>いつの間にか降らなくなったなあというような曖昧な境界線だったのだろうか。それともあのカラッとした空気をもって梅雨が明けたと感じただろうか。いずれにしてもそういう季節のうつろいを情報としてではなく実感で感じられていた頃がちょっと羨ましく思う。今でもテレビやラジオなしで暮らしていれば梅雨の終わりを体感できるのかも知れない。
2002年の旅では7月22日だったか23日だったかが梅雨明けだった。それまで執拗なほどに降っていた雨が、雲の切れ間から青空が覗いた蛭ヶ野のあの日を境にパッタリと止んだ。あの時ほど梅雨明けというものを実感し有り難く思ったことはない。そういう感触をもっと幼い頃から感じておけば良かったと思う。梅雨明けを梅雨明けと理解できるような感性を、もちっと若い頃から持っていれば、世界に対する興味はもっと真摯なものになっただろうに。
同様な観点から、昔の人が台風に対してどのように感じていたか興味がある。今なら到達するはるか以前から予測することができて、それに備えることもでき、過ぎ去った後の行き先を気遣うことさえできるけれども、そういう便利なものがなかった昔は台風の接近をどのように察していたのだろう。吹き荒れる風と雨とをどのような心持ちでやり過ごしていたのだろう。そういうところに思いを馳せて行くと、神や仏のような形而上的不可抗力的存在が自然と受け入れられるような気もしてくる。
台風の古語たる「野分け」という言葉が好きだ。得体の知れない風の塊り雨の暴力が突き進んでゆくさまを、その言葉の背後に感じることができる。
野を分ける主は何処か颱風裡よみびとしらず
写真と言葉の関係は“磁石”と似ている。惹きつけるという効用は同じながら、互いを近付けると反発しあう事もある…。私なりに考える事ここ数ヶ月、現状としては“このへん”にたどり着くも、まだ奥があるだろうし、それがチラチラ見えてもいる。多分“さじ加減”の問題だと思うのですが…難しいですね。ほんと。
そのお説に12億3000万ジンバブエコスモ。最近写真1枚のページが増えたのもそのせいかも知れません。