nagajisの日不定記。
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括弧に深い意味はない。ようやく奈良図へ行けた。謎が解決したような、さらに増えたような・・・がっつりコピーしてきたつもりが肝心の部分が抜けてるしやー。
開削された当初は一繋がりであった。明治21年の仮定県道指定では漏れてる。それが○年に仮定県道へ昇格(?)、27年に切り分けられている。三重側は資料なし・・・これって三重県立図書館へ泊まり込みで池という御託なのか。そもそも今の疑問を突き詰めるなら奈良県庁および奈良県議会へ行かねばならない。大変卓。
いつまでたっても開通しない木津と高見の悲哀。三重側に対する建議2本。しかし明治19年に和歌山街道高見峠は一応完成していることになってるんだよな(by伊勢新聞)。あれ、明治26年の銘は間違いか?
そうして上田口のその後をやや追跡でき、秋霧隧道の終焉を見極めた(かも知れない)。深霧隧道の煉瓦巻も恐らくこの頃。意外過ぎる収穫。この前の写真使って写真集に加えておくか。
その前にTUKA氏のpdf仕上げないとな。.psdまでは出来てるんだ・・・
ひとつだけ、緊急訂正。明治26年の甲乙県道・里道の制度は翌年に廃止されている。理由があほちんである。この年の通常県会で議決されたものの、その後になって乙種県道=町村費支弁の県道という存在が町村制第八八条に抵触すると内務省からツッコまれて没ったのだ。甲乙里道のほうは認められたのか、27年3月22日に奈良県土木費支弁法が改正され補助割合が決められている(甲種:改修は8割まで、修繕は5割まで。乙種は5割3割だったっけ?緊急を要する場合のみ?)。が、その年暮れに甲乙の分類が廃され一律補助になっとーる(これが大正8年旧道路法まで使われた)。これに限らず奈良県の県道指定は一年ごとにコロコロ変わる建議が建議されててややこしいこと限り無し。