nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
大正三重県史に県議会史が結講詳しく載っていることにさっき気づいた。浩瀚な県会史を圧縮してあるので理解しやすい。大正4年通常会で熊野街道改修費(5年度から3ヶ年継続)3万余円が可決。翌5年通常会で熊野街道と信楽街道の改修費の残金9万余円を流用する形で船津村相賀村間熊野街道改修、川添村熊野街道改修、森村波瀬村間和歌山街道改修(6年度、7年度)が可決。馬鹿曲りの改修@三重県会史第2巻はT4の時の予算説明で、一旦参事会で疑問符がついたらしいが可決してる。T5の金額はP220を参照の事(熊野街道継続費の償還方法の変更とか)。そして残工事はT7通常会(P283)。T4、T5の対象が煉瓦隧道群でないことは確かなんだが、T4がT5につながってるのかはよくわからん。金額を考えるとT4の決議に上乗せしたのがT5っぽい。
新道路法の話題が出てくるのはT8。
あと、二郷峠=荷坂峠改修は明治28年通常会で1年延期のうえで可決(第一巻P962)。県会史だと最後に原案通り可決とあって紛らわしい。この時に現国道のルートになったようだがその改修は不完全だったらしくT4の議論で馬鹿曲り直しても二郷峠があるよどうすんのみたいな討議がされてる。いわゆる第二期改修と(自分が勝手に)理解していた工事は長島〜尾鷲間の山岳部の改修のみであって、それ以外(平坦部とか荷坂峠とか船津−相賀間とか)は後回しにされ、工期は近いが別物として取り扱われた感じ。すげぇややこしい。
あと緑橋も忘れんなァ
修正の余波でしょうか。<br>IEで見ると大変なことになってます。
酷すぎワロタ