nagajisの日不定記。
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どっちつかずのままだらだらと書いている@AM3:00。文字数稼ぎしているつもりはないし、あれこれ悩みながらなのだけれども、結局はだらだらとした展開になっていて、ちっとも面白くない。もちっとメリハリつけられればいいのにと思うが……思うこと全てが思う通りに実行できたら苦労はしないのだよ明智君(誰
何より山場となるものが前半に寄り過ぎている。全ての探索がクライマックス式ではないのでおじゃる。
前半の概説もちゃんとカイトカナイト。prologueで端折った分、ね。しかし今日はここまで、明日(27日ひるま)は別件を進めて気分転換しよう。
ついにネタが尽きてこんな古い写真を引っ張り出すはめになった。2002年の夏、福島県猪苗代町郡山市にて出会った『チャンスラー』。
要はUFOキャッチャーの祖先である。クレーン状のアーム(表記によれば「フォーク」)にて玩具を掴み上げGETする遊具。一回10円という価格設定も懐かしいし、それ相応の玩具しか入っていない姿も哀愁をさそう。機構全身で「掴めません」を表現している貧相なアームは見え透いた罠だ。トロイアの砦を陥落させた巨大木馬だ。そうだとわかっていながらつい安さにつられて試してしまい、予想通りの動きをして、くるくる回るアームが玩具にかすりもしなかったのが、また泣けた。
そんな苦い記憶もそうだが、何よりも『チャンスラー』という名称が引っ掛かって仕方がない。一瞥直感では“chance-er”と分解できそうだがそれでは意味をなさない。試されているのは遊技者本人なのだから。熟考した結果「一見名詞に見えるchanceに同音同字の形容詞があって、その比較級なんかも知れん」と思い至ったが、それとてやはり意味をなさない。よりチャンス? かすりもしないボッタクリマシーンが何ゆうてんねん。ほなら高級マシーン『チャンスレスト』が存在するんか。原級の『チャンス』だけやったらあかんのか。と独りツッコミを入れるのが関の山だった。製作者は何を意図してこのような名称を付けたのか。未だに腑に落ちないでいる。
あれから7年。今でもふいに「チャンスラー…」と呟いてしまうことがある。
航空写真はS49のもの。下部盤台らしいものも写っているが現国道は少し線形改良されてるようなので残っているか否か心許ない。軌道探索の後で時間があれば行ってみよう。この付近に集合したくても車を停める場所がなさそうだしな。
木原林道は車で入っていけるようだが、念のため高見トンネル東口の駐車場に集合場所を設定しておくのが無難か。集合後、車で進めるところまで進むと。上手く行けば軌道直下まで車で行けるはず。もし集合時間に間に合わなかった人は奥まで行ってもらうようにすればよし。というかそもそも何時集合にするか稀マッチョ欄(汗
瞬時に判別できる文字列、単語として認識できる文字列はその人の知識の程度に依る。
「21世紀を心で包む」
というフレーズがいい。それを私が瞬時に認識したというわけではない。
_ とと [年商15億円…]
大正三重県史に県議会史が結講詳しく載っていることにさっき気づいた。浩瀚な県会史を圧縮してあるので理解しやすい。大正4年通常会で熊野街道改修費(5年度から3ヶ年継続)3万余円が可決。翌5年通常会で熊野街道と信楽街道の改修費の残金9万余円を流用する形で船津村相賀村間熊野街道改修、川添村熊野街道改修、森村波瀬村間和歌山街道改修(6年度、7年度)が可決。馬鹿曲りの改修@三重県会史第2巻はT4の時の予算説明で、一旦参事会で疑問符がついたらしいが可決してる。T5の金額はP220を参照の事(熊野街道継続費の償還方法の変更とか)。そして残工事はT7通常会(P283)。T4、T5の対象が煉瓦隧道群でないことは確かなんだが、T4がT5につながってるのかはよくわからん。金額を考えるとT4の決議に上乗せしたのがT5っぽい。
新道路法の話題が出てくるのはT8。
あと、二郷峠=荷坂峠改修は明治28年通常会で1年延期のうえで可決(第一巻P962)。県会史だと最後に原案通り可決とあって紛らわしい。この時に現国道のルートになったようだがその改修は不完全だったらしくT4の議論で馬鹿曲り直しても二郷峠があるよどうすんのみたいな討議がされてる。いわゆる第二期改修と(自分が勝手に)理解していた工事は長島〜尾鷲間の山岳部の改修のみであって、それ以外(平坦部とか荷坂峠とか船津−相賀間とか)は後回しにされ、工期は近いが別物として取り扱われた感じ。すげぇややこしい。
あと緑橋も忘れんなァ
ヘタレて天辻峠を越えられなかった初日,テントの中で情けなく思い,これからどうやって生きていけばいいのだろう的なことを考えたりした.自転車に乗れなくなり,どこへもいけなくなった時のことを考えた.それが案外近い未来のことであるような気がして.その時自分は何ができるだろう.パラダイムシフトが要求されていることはわかっているが,はてそれをどう実現すればよいのか.悶々と考えた.考えてもわからないので寝た.
要するに自転車の乗り方を忘れている.8割の力でちまちま進まねばならなかった.インナーローでへこへこ登らなければならなかった.ザックは常にリアキャリアでなければならなかった.そういうことを悉く忘れている.あるいは体力の衰えを見くびっている.それに気づいたのは最終日のことだった.
「自分のしたかった旅」と「自分のできる旅」は別物.さらに言えば「今しなければならない旅」をしなければならないのに「したかった旅」を追い求めてしまったのがいけなかったようだ.衣笠橋のたもとで,樫辻で,そして吉野口でやったような聞き取り調査のほうが今は必要だ.今後もそうなるだろうと思う.
なんだかんだ言いつつ,一日一つは予期せぬ大発見があったのでよしとする.
日本語による解説:結果的に橋と索道跡を探し回った4日間.最大の成果が上の写真.吉野町国道169号に戦前のRCアーチが架かっていることも確認した.川上村通いで散々通った橋なのに,それが昭和5年竣工の五径間連続RCアーチだったこと,どころかRCアーチであったことさえ知らなかった.おそらく町の人も知らないのではないか.
拡幅の仕方も空前絶後.同形状のRCアーチを並べて架け,その床版をつなげて2車線+歩道にしている.
http://inside.mines.edu/UserFiles/Image/library/Glass_Slides/img0051.jpg
流石やね>nagajis ただ肝心のpipの構造がわからない.
追記:なるほどそういうことか.すごく理に適っていて構造もシンプル.ただし磨耗したらOUTなのが火を見るよりも明らか.
あと,近デジに安全索道商会のパンフがあったのでメモ.大正水力電気も入ってる.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/967696/18
旧西吉野村域にはコレがたくさん残っている.どれも原型を留めている.そのうち最も保存状態が良かったやつ.坂巻バス停のそばに建っている.
小さい頃この人形が怖かったような微かな記憶.横から見るとすごく扁平で,しかもちゃんとなっているのが不気味だった.子供の手のムニュー感とか.いまはそうでもない.
そういえばこの間の東吉野村にはコレがあった.小学校の階段の下にあったので似たような注意喚起の意味(ドライバーに対して)があったのだろう.緑の小さなベレー帽がおしゃれさんである.
あちこちに文献資料を書き留めておいたが所要のものをすぐに見つけられなくなってきたので一覧を作成する。愚の骨頂あるいは車輪の大発明。つーか[煉瓦資料]とかでカテってたら済む話だろ。
改めて読んでみるといろいろ見落としている。テキスト化までしても頭にはいらなくなったか。老化だなあ。なんやらかんやらの怒りの感情とか批評への苛立ちとかはいつまでも残っているのになあ。その反応部位をフォーマットして記憶領域に転用できたらどんなに助かるかわからん。煉瓦製造業組合を通した販売のこと、遠方の販売には介入しない件、確か窯業会雑誌のはず。確認しとけよ。
あ、そうだった、そのために触れかなったんだった、と唐突に思い出した。こういう時のための沈黙なんだから利用しないと意味ないぜ>nagajis
大阪府誌の「軍挙暴進」という表現が引っかかる。日清戦争中・後の急激な増加と30年代全半期の急衰退をそう言っている。軍勢のように多数の工場が勃興し粗製濫造したことを言っているんだと思うのだが、由良要塞の建設と重なる所があるから「陸軍主導の挙」かも知れんと思ってしまい、疑念がぬぐえない。まさかなあ。
_ バロック [勝手な予想。 チャンス+ギャンブラー=チャンスラー という、直感的な造語。こういう機械はおそらく零細の町工場で作っているので、そこの社長か担当者の言語センスによって命名された。裏づけは無し。]
_ TUKA [郡山市湖南町福良のT字路にあるお店ではなかろうか? 馬入峠、勢至堂峠の分岐にある。 違ったかな?]
_ nagajis [「チャンス+ギャンブラー」という発想はありませんでした。ありかもしれない! 場所はうろ覚えでしたが確かにそうです>TUKAさん。勢至堂峠から下ってきた時か、鶏峠から帰ってきたときに寄りました。で、..]