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旧道倶樂部録"

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2011-06-04 [長年日記]

[KINIAS][橋梁] 見学会@布引貯水池

ロープウェーで登って歩いて下ってくるとのことなので足も大丈夫だろうと思い参加した。今回は神吉先生のご紹介で神戸市の職員の方が案内して下さることになり、普段入れない辺りにもづかづかと入っていけたのが嬉しかった。そういう機会があることを期待して(訪問を)後回しにしておいて正解だったと思う。念のためにと思って平成の改修記念誌を持っていったが、その必要はない位に詳しく&ツボを抑えて解説して下さったので有難かった。

画像の説明

以下断片的に。貯水池の最上流にある取水堰堤の前なるRC橋。地味に明治38年頃竣工で現存2、3番目の古さを誇るブツである。アーチは鉄筋(≠メラン式)、床版はモニエ式。五本松堰堤の下にもRC橋が架かっているが、そちらは大正時代に作られたものだそうだ。リブ+柱(写真のはヴォールト+柱)という違いもある。

画像の説明
締切堰堤の上のバイパス水路隧道の取水口には水平アーチが採用されている。年代的には第二期工事の構造物だが、ブツは少し新しい感じがしないでもない。苔生してないし。あとアーチは入口の50cmほどで、要するに隧道ポータルと同じような役割のものだ。

画像の説明

布引五本松堰堤の上に設けられた銘板。堰堤の完成は明治33年で、設計者や監督者の名前が英語で刻まれている(文字は金属製で一文字ずつ堤体に埋め込まれている)。今ならば神戸市長だとか水道局長だとかの偉い人の名前が載るところだが(実際この隣に1960年代に行なわれた防水工事の記念銘板がありお偉いさんの名前が載っている)、そうではなくて実際に手掛けた技術者の名前が掲げられているのが興味深い。昔はそれだけ技術者の地位が高かったという解説をいただいたが、むしろこれを責任署名だと捉えてみるのはどうだろうと思った。いくらでも首をすげ替え可能な上層部の名前ではなく、この堰堤を設計し、工事監督した者の名前があったほうが署名の重みが出やしまいか。彼らのほうが直接的な責任を負っていたと考えるべきではないか。そういえば逢坂山隧道の西口に掲げられていた額も工事監督の国沢能長を称える内容だった。ただの身内褒めではなくて「これを作ったのは私たちだ」という宣言だと。そう宣言して恥じない仕事であったのだと。

それ以降の、隧道名を刻んだり祝いの文字を掲げたりした扁額はまたちょっと違うかもしれない。完成を記念するものではあるが責任明示ではあり得ない。単にこの文字を書いた人の名前というまでで、偉い人にそのお鉢が回って来やすかったというまでだろう。逢坂山のあの額だけが以上なのす。以上階上屋的余談。

画像の説明堰堤上のグラウチングの跡。五本松堰堤はコンクリートを使ったために漏水に悩まされた。そこで堰堤の真上から垂直方向に小さな穴を開けモルタルを圧入して止水した(グラウチング。先の'60の時も、平成の大改修でもやったはzy)。そういう工法は聞いたことがあるものの、実際の跡を(グラウチングの跡として)見るのは初めて。こういう埋め殺しの鉄管をどこかで見た気がする。しかも執拗に。それがグラウチングの穴だったとは。些細なことだが少し賢くなった。

画像の説明

砂子橋。明治33年竣工。三心円+副アーチ2という変わった形の煉瓦橋。この時期に来ると左右の控えのアーチが木々に遮られてしまうのが残念(土木デジタルアーカイブスの絵葉書集なんかに写真があったはず。次のリンク先にもある)。本来の役目は五本松堰堤から引いてきた水を渡すためのもので、のちに布引の遊歩道用に解放された。いまある欄干の上半分は後年打越したもので、煉瓦のサイズを測ってみると確かに違う。旧部分は幅107mm前後だが打越した部分は90mm+αで幅が妙に狭い。この改修はいつだったか・・・工事記念誌にあったはずだが今はまだザックの中だ。

というわけでネットで調べると神戸市のページに昭和51年に嵩上げと書いてあった。へえ。その割にJIS煉瓦でないのはちょっと面白い。

画像の説明いろいろ構図を変えて撮ってみたがどれもしっくり来ない。三心円アーチがウリなのだからそれを活かして撮りたいところなのだが、天気が良すぎてハイコントラストになってしまううえ、斜めからだと曲がり具合がいまいち伝わらぬ。とかく橋の写真は難しい。

足の方はまあまあ。2月に七三峠へ行って太子道を帰ってきた時に比べれば安定感があるものの、下りの一歩を踏み出す怖さおよび急に捻ったときの痛みは相変わらず。むしろ今は蕁麻疹が気持ち悪くてかなわん。薬を飲むようになって一気に広がり遠山の金さんか何かのようになっている。見目がわるいだけで痒みがないのは幸いだが、これが全身を覆って区別がつかなくなるまではあまり出歩けないだろう。今日も暑いのを我慢して長袖を着て行ったので汗だくだ。

小さな旅ができるくらいに治ってきたことは素直に嬉しい。しかし6カ月でたったこれだけか、とも思う。若山牧水だったか三好達治だったか・・・結核を患ってから高い山へ登ることができなくなり、山を恋うばかりになったわが身のことを書いた篇を読んだことがある。それに似た思いのごく小さなものが心にあって取り扱いに困っている。すっかり諦める気にはなれないが、ただちに以前のような旅ができる気もしない。山のあなたのなお遠くにもやもやとした思いを馳せるばかりの毎日。そろそろ違うことをしなければと思いながらもう半月である。早めに裏工作を始めて活路その2を設けておいたから退屈してはいないが、それとて長続きするとは限らん。8日午後3時で終わりそうな気もする。

私用を2つ片付ける。なんかnagajisが人間の真似事をしている。笑止千万である。ちなみに岡山県に真似男ヶ峠なる峠がある。由来は不明である。

[ORJ][] それよりも危機

それよりも予定原稿が進んでなくて危機である。いちばん時間がかかるところ(地図とか)はあげてあるが原稿が手付かずだ。理由は「オチが固まらない」。やっぱり結論なしで放り投げるしか。七三峠の隧道もあれ以来進んでないしな。ふひーん。今後到着する本の内容如何で進路変わるかも知れぬ。

今日の電話の感触で見切り発車る? それもなあ。いや実際この記事読んで人がどかどか行くようなことはどんなに天変地異続きの現日本においてもあるまじきことだが、それでもそこに線を引くか否かが軸とか筋とかゆうやつなんだろ。


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