nagajisの日不定記。
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そのくせM44の工場一覧に手をつけてたことを思い出して続きをやってみたりなどしている.汎用性を持たせた設計にしておいてよかった.
安堵町,川西町,上牧町の辺りが非常に手薄,国中のほうがかえってよくわからない.旧添上郡の辺りとか.
てか次の自分の原稿どうするのかね.これといったアテがないままだ.
コピーを補完.土木百年の必要部分を5円コピーしようとしたら同一人物×2に占有されて1時間ほどコピーできなかった.こちらも量が多いので根気強く開くのを待っていた(といっても40枚くらいだったが).数が少ない時はコンビニで済ませたほうが精神衛生的にもよいようだ.
表題のようなキャプションがついているが,馴染みがない場所なのでピンと来ない.わざわざ複線道路と書いてあるのも若干戸惑う.大きさの比較対象にできるものが写っていないのでとても狭い道に見える.何だか簡易舗装の林道のように思えてしまう.側溝幅はたぶん一尺だろう.とすると駒止の高さが50cm前後で,その三倍くらいが人の背丈と考えると,二車線ギリギリといったところだろうか.真ん中が黒く煤けているから二車線対向ではなくみんな真ん中を走っていったのだろう.
二車線舗装なんて今時珍しくもなんともなく,なんでこんな絵葉書を?と思ってしまうが,これが作られた当時は珍しく,絵葉書にしたら土産物になるだろうと思った人があったからこうして存在しているわけで,立派な道を有難がって写真に残しさえしたという「道に対する態度」がわかって面白い.
道そのものを題材にした絵葉書ってあんまり見ない.新道が新道だった頃に物珍しさも手伝ってそういう絵葉書が作られることがあったくらい.上の絵葉書もそうだろう(矢の川の絵葉書だって眺めがいいから絵葉書にしたんだろうし.道は二の次だ).もしくは街並みや名勝旧跡明媚な風光の一部として写っている程度.そちらのほうはあまり興味がない.
そういえば三重の赤岩隧道ってやつ売れちゃってたな.三重ではなく福井のはずと思っていたのだけれど.
表はよく見かけるタイプの永代・清洲・吾妻橋の組み写真.それよりも表面の落書きが気になって採取しておいた.喫茶店で暇つぶしに書いたのだろうか,あまり熱が篭ってない雑な出来だ.「杯」が「材」になっていたり,角砂糖の近くに「¥10.00」と書いてあるので角砂糖1個10円かと思ってしまったりする(小数点下二桁というのが当世風か).
表に写っている橋々は大正末期から昭和初期にかけて作られたもの(永代橋大正15,清洲橋昭和3,吾妻橋昭和6).それからすると絵葉書も昭和一桁後半か10年代のものと思われるのだが,となるとコーヒー一杯10円というのはちょっと高すぎる.この頃コーヒー一杯は十数銭だった(「値段の明治大正昭和風俗史」上).もう少し遅くて戦後すぐくらいの落書きかも知れない.
裏面のスタンプは「日本青年館 □□記念」と読める.不明文字の一つはウ冠,二文字目は人偏の何かのよう.完成かと思ったがそうではないらしい.日本青年館(初代)は大正10年竣工というから,絵葉書の内容とも落書きともそぐわない.
あと,表面に「MADE IN WAKAYAMA」とあるのも気になる.隅田川の橋の絵葉書なのに和歌山で作られたのだろうか.切手を貼るスペースに「MANUFACTURED BY TAISHO」とあって,商標らしい鳩の絵も描かれている(どっかで見た気がするんだが…忘れた).軽くぐぐってみると日光や函館のとかのも作っているみたいで,各地の絵葉書を手がけた印刷業者だったのかも知れない.
大正4年に発足した大正村は原宿に役場があったそうなので、戸塚、原宿を結ぶこの道は、旧東海道、国道1号線なのかもしれません。<br>もしそれが合っているなら、現在でも中央分離帯や並木があったり、幹線道路なのにうねうねカーブしているので、絵はがきの面影があると言えるかも。
へえ,国道1号かも知れないのですか.俄然興味が増してきました<現金
これは、現在も残っています。松並木の横に新たに新道の下り線を作り、上下を別線にしたわけで、国道1号の現道です。現在は片側二車線に拡幅済みです。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/htm/16-02.html<br>詳細は、「道路の改良」16-2 の、国道一号の戸塚部分をご参照ください。