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2012-06-09 [長年日記]

[奈良近遺調][] 吉野郡史料 第三巻?第五編 交通史

探しものをしていたら見つかった別件.自分用メモ.

吉野鉄道

 吉野鉄道は明治四十四年四月七日の設立に係る株式会社にして資本金五十二万円を募す本社は大淀村大字北六田にあり貨物及旅客の運搬を目的とし官線(関西線)吉野口駅より分岐し大淀村大字下淵を経て同村大字北六田に達す此哩数七哩二にして停車場は大淀村大字下淵(下市口駅)同村北六田(吉野駅)の二ヶ所に設く

 初め明治四十一年四月大淀村大字新野森栄造県道に沿いて馬車鉄道を計画せる折柄軽便鉄道法発布せられしに依り之を軽便鉄道に変更し同四十三年九月資本金二十万円を以て設置の許可を得森栄造外十二人の発起人は株券の募集に着手せしに有力者中脱退するものありて為めに中絶の止むを得ざるに至り当時の郡長谷原岸松大に之を遺憾とし同年十二月十四日材木業組合役員及び郡の有力者町村長等を郡会議事堂に会集し本郡将来の発展を図らんには鉄道を敷設し交通運輸の道を開かざるべからざるを説諭し遂に郡の事業として之を継続経営すること並に元発起人全部を除却し新に発起人選定方を谷原郡長の指名に一任することに決議したり同月二十八日井上[人偏+喜]作郎富谷松蔵大北源太郎木村熊治郎森栄造を発起人とし更に阪本仙次を以て発起人総代とせり資本金も亦三十万円に増額し株式募集に着手せしを郡長の熱誠なる斡旋と町村長並に郡役所吏員等の尽力により同四十四年二月末日までに予定に対する超過の成績を得て遂に此に完決し三月三十一日其創立総会を開きここに本会社を設立す爾来実測設計に着手し同年六月十二日工事施工の認可を得七月十三日森栄造に工事を請負わしめ七月十九日起工翌大正元年十月十五日工を竣え同月二十日検査を了し同月二十五日開業することとなせりまた資本金は明治四十四年十二月十九日の臨時株主総会に於て三十万円を更に五十二万円に増額す其再募額は翌年三月三十一日迄に定額を完了せり

 大正元年十一月一日より大正二年四月三十日に至る百八十一日間の乗客貨物の員数賃金運輸の成績等左の如し

乗車人員 191,652人 一日平均 1059人弱

貨物噸数 15975噸3分 一日平均 88噸3分弱

客車収入 28672円200

貨車収入 5475円420

雑収入 2506円270 一日平均 202円508

収入一哩平均 5090円818

運輸収入を月別にすれば左の如し

(略)

本鉄道敷設に関しては社長阪本仙次の苦辛実に言うべからずものありしも熱誠敢為遂に能く目的を達したるものなり現在の役員左の如し

取締役社長 阪本仙次  取締役 木村宗四郎
取締役   永田藤兵衛 同   木村熊治郎
同     北岡惣太郎 同   富谷松造
同     大北源一郎 監査役 井上[人偏+喜]作郎
監査役   山本源次郎 同   福西泰一郎
同     阪本庄九郎 同   船津弥八郎

洞川電気索道

 洞川電気索道会社は大正元年十二月二十七日の設立にして下市町大字下市に本社を置く其目的は水力電気の動力により架空鉄索道を設け貨物を運輸し電燈並に動力供給を営むにありて資本金二十五万円の株式会社なり起点下市町大字下市より終点天川村大字洞川に至るまで十一哩十二鎖間に数ヶ所の停留所を設け貨物の運輸に便ならしむ

是より先天川村紀野奈良市外九名同村大字洞川字洞川に流下せし水力を利用し付近の電燈及び各種の工業用動力に供する目的を以て資本金三万五千円の洞川水力電気株式会社を設立せしを明治四十五年一月二十六日更に水力使用願を為し同年五月三十一日之が認許を得続て大阪市才賀商会工学士松本某をして実地踏査と設計とを嘱託し同年四月十日遂に電気経営許可申請を為せり

抑々此地域下市町より秋野丹生黒滝を経て天川村に通ずるの街路は既に開削改修の工を得ると雖も尚僅に人肩馬牛の背に依りて貨物の運搬を為すに過ぎず而して森林の財土中に埋没する所の鉄鉱大理石等の巨材宝蔵あるも之を輸出するの便なく所謂金玉を渓谷の中に投没するに異らざれば有志の甚だ憂苦する所なりき然るに今幸に此の天恵の水電あり事以て成るべきを知るや谷原吉野郡長其有力者を招集し前記発起者紀野奈良市外九名の出願に係る洞川水力電気株式会社を移して之を此の洞川電気索道株式会社と為すの利害を解諭するに及び衆皆其事業の有望なるを知り大に之を賛同し茲に此の本会社を組織するの基礎成り事業遂行の為め先ず其代表者を選定し其事を執行せしむ之が代表者たる者下市町にて畠山壽太郎天川村紀野奈良市元南芳野村家治佐太郎秋野村岡田豊蔵とす此に於てか其設立に関する利害の講究と先例の実行事蹟等を調査し同四十五年六月十一日発起人発会を為し資本金を定額し之を二十万円となし株式を以て之を蒐集す其十月十七日資本金五万円を増加し遂に二十五万円と成して又其募財を完了することを得たり依て同十二月二十一日架空鉄索願の許可を得同月二十七日を以て創立総会を下市町願行寺に開き諸役人の撰定を了す其役員に当選する者を左の人員とす

取締役並社長 永田藤兵衛   取締役 大嶋甚三
取締役    木村熊次郎   同   木村己三郎
同      井口岩松    同   米田治兵衛
同      紀野奈良市   同   福西泰一郎
同      羽根増治郎   同   山本信一郎
支配人    梨原又新    監査役 西村伊吉
監査役    植村徳次郎   同   岩井清平
同      岡田豊蔵    同   西川寅太郎


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