nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
受付がスキャンしている時に1枚増えて計11枚になった。しかもその1枚が鼻血ものだという。どういうことだ>受付。これ1枚で代金回収できるじゃじゃないか。ごめんなさい○ーチ様。
忙しさの度合いでいえば一般人筏からな。いつ起きてもよし、いつ寝てもよし、することだけやりさえすれば。なんだけれども、それが難しいから困っている。それすらできない低能力者から一般社会人やってなくて飢えて[水+及]々しているともいえる。いろんな意味で相応しい立ち位置なんだろう。
いまのご身分括弧笑いで唯一有り難いことは、平日に時間が取れることだ。どこかに尋ねの電話をかけたり公文書館に行ったりできること。たったそれだけのアドバンテージのために飢えている。それでいいと思う。
でもあれかー、一般社会人の人だって有給休暇とか取ればいいだけの話だもんなー。本当に本気でやりたいと思う人がいたら資金面で太刀打ちできるわけがないもんな。
橿原神宮を候補に推すのを忘れていた。神社建築だけじゃなく道路整備・市街地整備の点も含めて一体として。洞や元標まで入れたらわけわからんようになりそうな気もするけど、入れられないことはない。 どういう取り上げ方をすればいいのかわからないが。 して二次調査や報告を書く適任者もいない。
そのために絵葉書も買っといたんだけどな・・・
戦争たけなわのこの時期にしては珍しい?彩色絵葉書(Oh、モアレェ・・・)。当たり前だが駅前は地道のままだ。そうなのだよなあ、昔の日本人は晴れの衣装でこういうところを歩いてたんだよな。と思い出させてくれる一枚。雨の日なんて最悪だったろう。
他にも何枚かあるが、100えんでバラ買いしたので全部揃っている保証はなく、公園道路が写っているのが見つからなかったのもつらい。ネットで探すと東北陵参拝道が写るいい構図のがあったらしいんだけどナー。
そういや畝傍町道路の建っていた植え込みがないな・・・。15年以前のものらしいから、16年に設置されたものがないのは当然かも知れない。
鉱山は川上村の白土鉱山が使えるよな、とも思い出した。特異的ではあるが国栖の紙漉きとも関連がある。ここは川上村のMさんらがきちんと調べてはるので心配ない。
末尾の「なー」をカタカナにすると一気に昭和臭がする。 それだけ。 自分の生きていた時間に微妙にかぶるはずだが、戦前といっても合っていそうな気もして、うまく掴めないが昭和のかおりがする。
ちょっと気になった橋梁絵葉書。連隊を紹介する一連の絵葉書があって、そのなかの一枚なのだろうと思う。戦前戦中にはいかにして効率よく橋を爆破するか、あるいは逆に爆破に耐えられるようにするかという研究もされていた(関門海峡大橋が廃案になったのも空爆に弱いからという理由だった筈)。そんな研究・訓練の一コマなのかも知れない。
桁のまん真ん中ではなく、その脇に装薬している。当たり前か。そこが一番弱い。真ん中は添継板があるので厚い。
騎兵第26連隊は岡山にあったそうなので(ググッて得た程度の知識)、この橋も岡山のどこかなのだろうか。 訓練専用の橋というわけでもなさそうだし、架線があるってことは電車線だよな、程度しかわからない。
絵葉書をよく見ると、ひどく錆びて腐食し、アバタのようになったのを塗装し直したらしい桁が使われている。今時の鉄道橋では絶対に見られないようなボロ桁だ。そういうのを昔は普通に使っていたんだろうか。
この間白砂発電所を探しに行ったときにうろうろしたのが懐かしかったので掲げてみる。駅や橋、道路の位置関係はほとんど変わっていない。右手に見える橋を渡り、まっすぐ行った突き当たりに笠置村道路元標がある。下ノ川の右岸伝いに進んで木津川を渡る橋。これは今破廉恥な色の取り合わせのゲルバートラスになっている。そうか昔は吊り橋だったんだ、と思って、以前この吊り橋の絵葉書を購入したことを思い出した(特に面白いことはないので省略。かわりにゲルバートラスのほうを載せる)。
ピンクとライトグリーン?の組み合わせ。微妙に陰影のように見えるのが悔しい。もうちょっと落ち着きのある組み合わせでも良かったろうに。