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2012-11-21 [長年日記]

[未消化] ある教会にて

画像の説明とある教会を訪れた時、中でドールの撮影会らしきものが行われていて、それを見て小さな嫌悪感を抱いたのだが、どこにどう嫌悪を感じたのかうまく説明できなかった。直感的な生理的嫌悪ほど質の悪いものはなく、根拠のない嫌悪感であったのかも知れないと思ったりもするが、そうだと言い切ることもできず、もやもやしている。

大の大人が人形を弄ぶというところを是非するのではない。それがダンボーであってもコスプレ撮影会であっても同様の情を抱いただろうと思う。発端はドールではなく、公共の場で自分の趣味を全開開陳している姿に嫌悪を感じたのだろう。その場を場違いな空気で占用していると感じたから腹ただしく思うのだろう。壁に書かれた落書きを見たときの嫌悪感、駅のホームで線路にゴミを投げ捨てる東京人を見たときの嫌悪感と同質のものだろうと思う。

教会建築はさすがに歴史が古いだけに「よく仕組まれている」。薄暗く、天井の高い室内に、ステンドグラスを通して洩れてくる色々の光が射し込んで、壮麗な装飾を浮かび上がらせる。色はあれだけ賑やかしいのに、底に静謐の憂いを漂わせていて、その対比の美しいこと・非日常的なことにはキリスト教徒でなくてもハッとさせられる。「敬虔」とはこういう気分なのかと悟らされ、悪くないものだな、と思ったりもした。そんな空間の一角に見知らぬ他人の自我が持ち込まれ、人臭さ欲深さを撒き散らしているーーー彼らだってこの光景がきれいだと思うからわざわざ持ち込んで写真を撮ってるのだろうーーーことに、強烈な違和感を感じたのだろう。

場違い、という言葉はかなり危うい。その場の雰囲気というものは、そこにそういういう雰囲気を感じ取った自分だけにしか通用しない。ある人にとってはドール撮影の最適空間であるかも知れない。ある人にとっては懺悔の念に駈られる空間かも知れない。ある人には単に色彩のハイコントラストを楽しめる場かも知れない。教会はこうあるべきというコンセンサスなんて存在せず、特にここのような、観光目的で移築された、教会としての機能を果たしていない教会では静謐も何もあったものではないと言うことも不可ではなかろう。


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