トップ «前の日記(2012-11-19) 最新 次の日記(2012-11-21)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業資産 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2012-11-20 [長年日記]

[独言] 結局行ってきた

19日の話である。日の出直前に寝たにも関わらず10時前に目覚めることができ、なんだか勿体ない気がしてきたため、一転して徒歩調査へ赴いた。洞の共同井戸、洞池を回った時点で15時過ぎ。せっかくだからと、忍海村と新庄村の道路元標を回収しに行った。行ったのである。行ったんだってば。行ったんだよ。しかも、そこで・・・。

[奈良近遺調] 新庄村里程元標

画像の説明画像の説明

こんなものが、ありやがッた。しかも・・・・・・「大正十一年八月建之」とはどういうことだ?!(嗚呼誰にも伝わらないに違いない驚き)

[独言] 共同井戸と洞池

どちらが新しいのかよくわからなかったが2つは水路で繋がっている模様なうえ2つとも大字洞にあるらしいことを境界標のお陰で知った(また境界標かよ!と思ったあなたは正しい)。さてどう料理したものか。

誰も来ねえだろうと思っていたら2人もすれ違ったのが妙。よほどよく踏まれた道なので畝傍山に登る道としてメジャーなのかもしれん。

肝心の水の出所がいまいちよくわからなかった。岩盤から染み出てくるのを貯めていたのだろうか?にしては水量が少なすぎる。以前は沢山出ていたのだと説明されてしまうとそれっきりな気もするがモノは現実的でないなあ。場所も谷筋ではなく尾根筋に近いところにある。湧水豊富そうには思えぬ。

[奈良近遺調] 思ったほど書けない

さっそく書いてみたがあれが洞池という確証がないのな。下の池は新池という名前らしいし(「橿原神宮と建国奉仕隊」図より)、その図には上の駅書かれてないし。ううむ。

里程元標のほうも進まない。奈良県は明治21~23頃に里程標の設置を行った?公文書「里程一件」なるものが存在するらし(伝聞形)い上に市町村のは木標であった。んで何故か左のこめかみが痛い。

[独言] うーん

御所、天川へ向かうタイミングが掴めない。寒いのは我慢するが、それ以外の要因でいろいろと。先にやらないかんこととか。

「天川ガイドマップ」によれば川迫から来た軌道は沢谷で終点。南角に土場、神童子や弥山の奥に製材所があったという。索道中継点というのは、当時は屈曲停車場を作れなかったため。あ、「天川ガイドマップ」の写真の搬器はロー式やな・・・。電索は玉村式やなかったっけ。

うん、たぶん違う。大阪荷箱のんじゃねえの?

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ JINKO (2012-11-21 00:14)

里程元標の件、大正9年以降に作ったんなら道路元標じゃないのか的なお話でしょうか?青森県は元標ほとんど残っていないので羨ましい…。

_ nagajis (2012-11-21 00:48)

まあそんな感じです。加えて奈良県の場合、里程元標の位置を踏襲して道路元標を設置しようとしたらしいですし、その里程元標位置の調査は大正8年末には終わっていたようで、その後に、近い将来無用になることがわかっていながらコレを建てたということになってしまいます。よくわからんちんです。


トップ «前の日記(2012-11-19) 最新 次の日記(2012-11-21)» 編集