nagajisの日不定記。
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年を取ると新しいもの・新しい概念が受け入れられなくなるという。とてもその通りだと思う。基本的に二十歳前後から、鐘ヶ坂隧道に遭遇した頃くらいからnagajisは変わっていない。
それ以前から新しいものに興味がなかったような気がしないでもない。流行りの音楽を進んで聴くこともなかったし、物心ついて以降の各時代のアイドルの名前も覚えていない。ジャンプやマガジンの連載をリアルタイムで全話読んだ覚えもない。兄や友達がキン消しやカー消しの数を自慢していた頃、はて自分は何に熱をあげていたっけか。MSXとかファミコンとかがそうか。そればっかりだったな。
年を取って頑迷になるパターンは2種類あると思う。新しいものを吸収するのが面倒になったり、脳生理学的に?不可能になって、すでに習得している知識なり技量なりに縋って生きざるを得ない人。新しいものを否定する傾向がある(そのくせ不便をかこつ)。それとは逆に、既習得の技量で必要十分で、それで何でもこなせてしまう人。それはそれで不幸である。
20代を境に、脳がどんどん劣化していくのを実感している。一度読んだり見聞きしただけでは覚えられなくなった。何度も何度も繰り返さないとなかなか覚えられず、その繰り返しの回数は年齢に比例して増しているように思えてならない。そんな老化に対し、感性とか洞察力とかは(経験の蓄積によって研鑽されていくので)年を経るごとに高まっている気がする。記憶力の下降線と感性の上昇線が交差して、後者が前者を上回るようになったとき、生き方が変わるんじゃないかと思う。どういうふうにと問われると困るが、漠然とそんなことを思う。やがて記憶力が底をついた時には感性だけで叫ぶ喚く徘徊するの惚け老人になるのだろう。できればそうなりたくないので、せめて能力低下の度合いくらいは正確に把握しながら生きていきたい。
歳取ると~ってのは同じく。というか同意する(苦笑)<br>しかし、記憶が劣化した分だけ、それまでに蓄えた経験による発想や思考ってのが増えた事もあるでしょうに。
蓄えた経験を覚えていられればよいのですがね・・・昨日ここに何を書いたかすら忘れている(汗)ので、それをもとに何かするのも大変です。<br>で、どんどん忘れていった結果、かろうじて何かが残って、その何かに固執して書いたり喋ったりしなければならなくなり、同じことを何度も繰り返す老人になるのだろう、という未来が読めるので薄ら寒いのであります・・・。