nagajisの日不定記。
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http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784786/71
里道に立派な煉瓦橋梁があったという話.宮城県名取郡生出村.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941563/153
近デジに日本登録商標大全が収録されているのだな.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941558/100
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/984219/29
最後の一つは大正初期~震災後の煉瓦の製造状況がわかって面白い.&,この頃鉄道でどれくらい運ばれたかがわかる.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1021049/416
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802718/513
丹治煉瓦、津守煉瓦の住所、だったはず。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/09-12-0042.pdf
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/10-01-0027.pdf
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/11-01-0041.pdf
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/11-05-0007.pdf
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/11-08-0023.pdf
大正9年旧道路法公布とともに大々的な国府県道改修を計画(おもに国道と軍事上重要な府県道)>尻すぼみになり関東大震災がとどめを刺す>T11郡制廃止で府県道の基準が緩められ有造無造の郡道が府県道になる>府県道の質の低下+T9の計画を完遂する意味でも府県道の充実が求められる>T15指定府県道制度。当初から1/3補助を念頭に置いていたが直ちには予算がつかず>S2産業振興に積極的な田中義一内閣成立>(田中内閣の意向を受け、S2~S3に各府県で大規模な改修計画が立てられる?)>S3、S4年度から「産業道路開発」の名目で府県道改修に補助を出す予算が成立(第56議会。対象は指定府県道)>みんな喜ぶ>S4暮れに田中義一内閣総辞職、浜口ライオン雄幸がその予算を削る>梯子を外された状態に>府県仕方なく無い予算を絞って工事続行。次に府県道補助の話が出るのは確かかS11(指定府県道告示)だったはず。
奈良県。S2に赴任した百済知事が道路に関して理解があり(<田中義一内閣の出先として。就任直後のコメント「道はきれいだが狭い」)、S3年度から15ヵ年で県内116里の2間道路を4間道路に改修する計画を立てる。6より償還。総工費726万円のうち1/3を国庫補助、2/3を県債で賄い実施の計画。 晒橋千石橋高橋旭橋がS5までに架け替え決定。 可決。千石橋は大正末に墜落・復旧が急がれていた(指定府県道ではないが下市・黒滝・天川方面の生命線)
しかし3年11月通常県会で昭和5年度までの3カ年に起債額92万5000円で行なうことに変更される。内務・大蔵省が起債3カ年を限度としたため。産業道路改修計画はその後(12月~翌年3月25日)。よってその計画に則った改修計画はつくられずに終わった。百済知事の後釜知事はヘタレ揃い。
百済知事の計画じたいはS4後も残っていたらしく、 昭和6年通常県会でS3至S20度国府県道改修継続年期並支出方法が可決しているほか、S7、8、9で月瀬橋前鬼橋等の架替の継続年度が審議されている。「百済知事の計画もあり」云々。むしろこの時期水害が立て続けに起こりその災害復旧に多くを費やしている(県債とか)。このへんは議会議事録読まないとはっきりしない。
S4年度の予算名目が「産業道路」改修となっていたせいで指定府県道=産業道路と見なされる傾向にあったらしい。産業に資するから産業道路ではなく指定府県道の別名で使われている場合があり注意を要する。「地方通信wiki」でも昭和3年から産業道路という名称が使われ始め戦前まで。「指定府県道」はS6から出てくる。「所謂指定府県道に就いて」のいわゆるが抜け切れないまま。
指定府県道になったからといってただちに改修されたわけでもなく、補助が改修を加速させたような感じでもないのだが、県のなかでの改修の優先順位は高くなったはずで、その改修に内務省の許認可が必要となり道路構造令に準拠した規格の道路になったと思われる。T12中の橋とS3以降の橋ではずいぶん差がある。ただこれも府県の心意気次第か。T11天辻隧道とかT13岩井橋とか大きいのあるもん。
地震で目が冴えたのちに眠って見た夢。夢の中ですごく眠い思いをしたという奇妙な夢で、自分にとっては初体験なので、殊更のように書いてみる。
探索ではない別の目的でトンネルのような研究施設のような場所へ来ている。場面はすでに現地なのだがそこまでの行程で精魂尽き果てたのか異様に眠くなり壁際に崩れ落ちてしまう。腕を上げるのも首を回すことさえも覚束ない眠さ。目を瞑ってうしろへ身を預ければそのままどこまでも落ちていって二度と浮かんでこないんじゃないかと思うほど眠い。そんな睡魔に倒れた姿勢で必死に抗う。腕を上げてみたり目を見開いてみたり。しかし一向に効き目がなく、重力が2倍増3倍増になったような眠さに覆い尽くされてしまう。
このまま眠ることができたらどんなに心地いいだろうと思った。普段思うように入眠できないくせに何でこんな時に眠くなるのかとも。しかし寝るわけにもいかない。車が来て轢かれるかも知れないからだ(そういうトンネルではないのだけれども。だいいち通路とは思えないほどモノが置かれている)。あおむけに倒れた状態から何とか上半身を起こし手近にあるものを押しのけて立とうとするが、そうしたいという意識も体を動かす力も睡魔が蝕んでしまって思うようにいかない。手近のダンボール箱を持ち上げることもできなかった。中には何も入っていないはずなのに重くて持ち上げられなかった。軽さを感じているにも拘らずそれに拮抗するだけの力が入らないのだ。眠い。ねむい。NEMUI。背中をどこかに預けて眠りたい。どうなっても構わないから寝たい。
そんな呻吟をしばらく続けたあげく、もうダメだと力尽きそうになる瞬間、「本当にそれでいいのか」と思い直した。また立ち上がろうとするが、相変わらず力が入らず。これまでか。
そこまで。結局寝てしまうことはなかったはずだが、どんな顛末を経て目覚めたのかよく思い出せない。ともかくも起きた瞬間に思いっきり背伸びをし手足が動くことを確認した。意のままに体が動かせることの幸せを噛み締めた。
今思えばあれなのだな、寝る前に風呂に入った時からそんな睡魔にやられていた気がする。頭を反らせばそのまま意識が遠のいて眠ってしまいそうな眠さに風呂の中で襲われた。あの時のぐったりした感じは一瞬であったけれども、それと同じものを夢の中でも感じ、悶え苦しんでおったように思う。あのまま寝ていたら風呂場で溺死できていたかも知れぬ。
風呂場での眠気は眠いのではなく血圧の低下です。決して風呂場で寝てはいけません。
立派な煉瓦橋梁、落っこちてます。<br>http://yaplog.jp/nyo_ek9/archive/72