nagajisの日不定記。
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法隆寺の裏山にある阿摩池。同寺の防火用水の貯水池として大正14年に建設が始まり、昭和2年に竣工した(翌年落慶法要)。高低差を利用して法隆寺まで送水し、消火ホースで放水するだけでなく寺院の周囲90箇所に設置された放水銃から絶え間なく水が放たれる仕組み。池の取水塔やそれに連なる連絡橋は用途を意識した和風意匠になっている。
そのような防火施設がありながら、金堂壁画は昭和24年に焼失した。あまつさえ消火の勢いで他の壁画を損傷したという。
事実だけ並べると「なんだ役に立たなかったんジャン」となりそうだが、果たしてそうだろうか。消火設備がなかったら金堂は全焼して瓦しか残らなかったろう。他の建物に類焼していたかも知れない。「かけがえのない国宝が喪われた」と捉えるか「一つで済んだ」と捉えるか。日本人的にはたぶん前者。あまり建設的とはいえない。
金堂壁画が焼けたのは1月26日で、これを機に文化財保護法が制定され文化財防火デーが始まった。全国各地の文化財でこの日消火訓練が行われる。そうした訓練がもう半世紀も続けられているのに消失した文化財はいくらもある。この論文によると、文化財保護法施行下で、昭和26年以降平成6年までに14件の国宝・重要文化財が焼失により指定解除されているそうだ。同期間の全解除数の7割を占める。その割合の大きさは木造建築が多いのだから当然かも知れない。ゼロにできないものであるとも言える。
何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、要するに阿摩池の扱いがあんまりだと思う。「金堂壁画を守れなかった」というレッテルが暗に貼られているせいで評価しにくい雰囲気にある。金堂消火の際のエピソードはいくらでも書かれているのに、その消火に何を使ったのか教えてくれるものがない。五重塔への放水に備えて相当な水頭を取っていたことが鶏頭牛刀になったのか、それとも消防ポンプとか消防車とかを使ったのか。消火訓練とか手順の取り決めとかやっていなかったのか。そのへんを知りたいのだがなぁ。
防火池や消火設備の建設に際して県土木課では専門の部署を設けて事にあたった。課長を務めた特徴的な名前のあの人はその後民間会社に下って空襲で亡くなっている。
和みますなぁ。右端のジスオが「キモッ☆」とかいってるけど。<br>和みますなぁ。(疲れてる。)
お疲れのようですね.そういう時は空を見ましょう.雲を見ましょう.山を見ましょう.自分とは無関係に世界が回っていることを実感できます.