nagajisの日不定記。
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個人的にはこちらのほうがうれしい発見。十津川村川津で小島煉瓦の刻印煉瓦を発見した。力強く打ち込んだせいでずいぶん深くえぐれている。しかしその底に刻まれた野球ボールは見紛うことない小島煉瓦である。
小島煉瓦は昭和13年頃に退転しているので、それ以前に作られ運ばれてきたことになる。そのころの西熊野街道(府県道五條新宮線)を。御所から重坂峠か風の森峠を越えて五條を経由し500m登って天辻隧道を潜りさらに数十キロ登ったり下ったりしつつ運ばれた煉瓦である。感慨が沸かないわけがない。しかもあった場所に意味がある。
電車待ちの間に橋本市をうろうろしたら、国道脇の民家の境界石?で分銅型の刻印を発見。私は初見だがkousenさんが友ヶ島や多奈川で発見されている。どうも和歌山か大阪南部の工場の刻印らしい。聴音所の建設時期で絞り込めるか?
県道722号のニールセンローゼ。パッと見てわかる位置に竣工銘板がなく、なんで川津大橋が二つ並んでいるのかは謎のまま。(橋梁史年表には三弦トラスのほうが載ってるんやな)
主桁が下に撓んでいるように見える。これはカメラのせいではなく、実際にこんな感じだった。テンション足りないんじゃないだろうか? もしくは暑さのせい? いずれにしてもこの付近の橋はどれも放置気味で、塗装禿げまくり&錆びまくりなのが納得行かない。
奈良県長寿命化計画によれば「新川津大橋」で1989年(昭和64/平成元)竣工。やはり6t制限ではやっていけなかったのだろう。五百瀬、杉清方面を十津川に結びつける唯一のルートだからな。