nagajisの日不定記。
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久々に正統派な奇妙なポテンシャルに遭遇した。文面ではなく改行と字下げの仕方に奇妙なポテンシャルを感じる。何もしなければただのお願い文になってしまうような内容であり誰も好き好んで読もうとはしないであろう文章を、何とか目に留めてもらい読んでもらおうという思いがひしと伝わってくる。しかしその思いが伝わるのは、世間的にはごく少数の、些末事に拘って拘って自分でも嫌になるようなタイプの人間だけにであるだろう。ちと勿体無い感じもする。
最初の5つは具体的な「しないでください」の羅列。ホームの端云々は仕方ないとして、続く3つは文字数を揃えることで繰り返し効果を狙っている。5つ目の改行はあきらかに意図的なもので(改行せずとも入るのだし)、おそらくは最初の1つと対になるよう仕組まれたものだろう。クリームを3段挟んだビスコの如きものである。
続く
正しい乗車で 明るい社内に ぜひご協力を お願いします
などは語呂がよい上に美しい対称性がある。思わず口ずさんでしまいたくなる一文ではないだろうか。
それに続く、*印によって区切られた一文は、前段落までの対称性を破ることで文面(ふみづら)に脈動を与えている。ここまでの区切りのよさを放棄する「つり革(改行)などを」の改行は、一件なげやりなように見えて実は計算づくだ。ここに違和を置くことで「あれ?」と思わせ、もう一度前段落を読み返してみる気にさせる策略である。そう断言する。
最後のブロックはさらにもう一度の振り返りを求めてくる。読むものに謎を投げかけてくる。なぜこの字下げにする必要があったのか。何を狙っての字下げなのか。Ps道者としての私は次のように読んだ。サービスを提供する側である我々がお客様に対して命令することもございます、その時はどうぞ従ってくださいお願い致します、という平身低頭を三文字下げに込めているのではないかと。そは謙譲の具現化である。弱気の現れであり影に鬱憤が抑圧されている。(ここで前段落の*が生きてくる。文頭から前々段落までは4字下げで揃えられていて、最終段落だけ3字下げなので、もし*区切りがなければ下げ数の不一致が目立ってしまう。*区切りがあることで字下げの差異がかき乱され、「だいたいそのへんで揃えている」感じとなってすんなり受け入れることができるのである。そう断言する。
文面の真意はわからずとも、まじまじと見つめ二度三度と読み直してしまったうえに写真まで撮ってしまった時点で負けである。大阪市交通局の大勝利である。その思う壺に嵌ってしまっているのである。
敗北を吹聴し痛みを紛らわせようと思ってこんなことを書いているのではない。文字だけの広告でもここまで読ませることができるのだという見本として提示してみたのである。人の注意を惹くためだけに微笑うアイドルの顔写真を載せ、苦し紛れに小Q数でイメージガール云々とかいうキャプションを載っけたような粗製乱造広告は火に投げ込まれるべきものである。猛省を促したい。第一、テレビ持ってない人間にはアイドルの顔なんか識別でけへんっちゅうねん。誰やねんお前。
雷に打たれたらどんな声を出すだろう、と唐突に考えた。正解はその場になってみなければわからないが、おそらく「あうえ」とか「がっ」とか言葉にならない言葉を発するだろうと想像する。仮にそうなったとして、仮に誰かに聞き取られたりしたら、ちょっと嫌だ。「nagajisの最後の言葉は「おぎょ」でした」とか「電光一閃「ぷぎゅ」と叫んで息絶えた」とか伝聞されるのは恥ずかしい。せめて「生れてきてすみません」とか「もっと光を」とか気の利いた言葉を発して絶命したいものだと思った。誰に聞き取られなくても構わないから。
気持ち良い気持ち悪さを持つ文章ですね。<br>アスタリスクがたらまん!
わかってくれましたか!!!