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2013-12-15 [長年日記]

[独言] 発行

ふう・・・何とか間に合った。西熊野街道はもう少し早くから書き始めておくべきだった。書き漏らしたことはないと思うが終わってみて物足りなさを感じる。ちょこちょこ膨らましたいところはある。短期証録書き起こしとかさ。でもそれやると本編が寂しくなるからな。東熊野は初めから飛ばし過ぎてあとで苦労した。あそこまで自縊する企画にはしたくない。

西熊野には土倉庄三郎がいないのもある。やるなら玉置郡長か。この人の死で吉野の発展は50年遅れたと思う。

そうか、前号はまだ集中訓練の最中だったのだよな。よく頑張ったもんだ。ネットに繋がるのは土日のみ、あるいは行き帰りのセブンスポットでWifi繋げてTF101でメール見る程度。9,10はまだ祝日があって助かったが11は全く死ぬ思いをした。それでも17には出したんだ。予告通りに。でも結構いろいろ忘れてるよな。HEADLINE出す暇もなかったなんて。ま、自分の都合で出来てなかったことなんで、書いたところで懺悔にすらなりゃしねえな。嫌らしいだけの韜晦だ。

それに比べて今回はまだ余裕があったはずなんだ。TF101のキーボードが死んでしまいまだ復活していないとかいうのも言い訳に過ぎぬ。暇さえあれば打つという気力が別のほうへ持って行かれている。次回はこれを反省して毎日ちまちま書き続けることにしよう。蓮根峠まで書くとえらいことになるぞ、次回。あと訓練前の探索のことをちゃんと思い出せるかどーか。蓮根峠さえ忘れかけている。

蓮根峠次々号説は西熊野第二描をどこにするかによる。天辻以北を纏めて・・・と思ったりもするし津越野峠でゆくかも知れぬ。しかし現状ではどちらも量が稼げないだろう。そこはそれ、そういう中編の寄せ集めだと踏ん切ればよろしい。というところまで考えたところで、足りなければ蓮根峠か、と思った次第。少し節約しないと来春まで持たないだろうしよ。

一度平日に消された点の記見に行かないと。いや第六集見ればいい。45。沿革史も読んどけ。明治29年に調弁係。


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