nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
大阪府の明治24年の地方税支弁道路告示を発見してうほうほいいながらテキスト化したら、終わった頃になってもう4年も前にテキスト化してたことに気づいた。ばーかばーか。
大阪府の広報pdfを漁ってM31の改正を発見。「地方税」で検索したかぎりではM24以降ここまで改正がない。しかし4年前のメモによると仮定県道はころころ変わっているらしい。考えられることは
1.nagajisの目がフシアナ(M31には粉浜街道も父鬼街道も仮定県道枠に入ってる)
2.府県道の指定と支弁法が連動していない(府県道は全額地方税支弁が前提で、府県道への昇格即ち支弁であって告示の要がなかった。それ以外の里道、前島街道などがずっと変化しなかった)
3.
が考えられる。となると地方税支弁法の枠内でどう変化したかを追うことと統計書で県道か否かを追いかけるのと2スキャンしなければならない。うっとうしい。
M31をテキスト化しつつ補助割合の変化を見ていくとかなり入れ替わっていることに気づく。これは統計書の県道の入れ替わりの速さに似ている。改修のため一時的に補助割合を変更→改修→完了とともに補助割合を下げて、かわりに他の未改修道路を昇格、という流れなのかも知れない。もしそこを裏付けようと思ったら府会議事録か府会誌を全読みしなければならなくなる。すごく・・・面倒です・・・。
とはいえ結構面白いことが見えてくる。井関越や平石峠が補助里道だったりとか、千早峠が早々と全額支弁でなくなっていたり。
大阪府の補助里道制度は確か明治10年代から始まっていたはずで、東熊野街道などは改修終了後に補助里道編入を申請したがrejられてたんじゃなかったっけ。22日に見つけた府会誌の熊野街道の記述@明治14年を混同しているのかも知れない。郡への土木費議論で減額されてるんは、この頃まだ地方税支弁法ができてくなくて、逐一しんせいしなきゃいけんかったのではなかったか。
明治13年に土木費打ち切り。明治14年に東京府京都府大阪府+神奈川県で区会・郡部会の実施。区部 郡部 で改修対象と改修費を議決>府会で請求という流れらしい。この頃の郡部会で土木補助費中に道路入れてくれとか地方税支弁にしてくれとかいう建議がいくつかある。熊野街道の改修費削除も@郡部会。そもそも土木費/土木補助費と分けられていた意味を理解しとかないといけない。明治11年?14?に府県会制>府経済の範疇と議決権のあたり。
明治24年の告示の背景はちとよくわからない。明治23年度の最後の府会で理事会の土木費(道路)の原案がなってねーちゃんとしろーそのために委員会作るから25年度からちゃんとしろーという建議がある。おぼろげな理解では3月はじめに理事会から土木費(道路)が示されたのに対し、大事なことなので査読会たてて議論した結果、あちこち修正したいんだけど時間ないからとりあえず原案可決しちゃるけんとか何とかな流れになって建議になっていたはず。対象路線の告示がこれにつながると思われるがもう少し読み込まないと理解ができない。
送信者 関西地方煉瓦刻印 |
堺市九間町東二丁(八木氏旧宅裏)で初見刻印を発見。5弁の花に「スク」の文字と漢数字が刻まれている。漢数字は六や三などがあり、いずれも五弁花に「スク」がついている。古煉瓦の多い旧堺市街でも、この一角にだけ存在する、かなりレアな刻印のようだ。
左書きで「クス」なのだとすると、鶴田村にM29に出現する楠本煉化工場が第一候補。他に楠根村の工場とか楠田氏の工場とかはあるが少々遠い(いまの城東区とか滋賀県とか)。まあ鶴田村もずいぶんとおいのだけれども。原口跡地になかったっけかクスのつく工場。
これを見て、以前直父さんが教えてくられた真田山陸軍墓地の刻印を思い出した。あれはこれの「スク」がないバージョンなのではないか。しこうして桜ではなく梅なのではないか。明治21年設立大阪府下煉化石製造組合の事務所は菅原神社にあり、菅原神社といえば梅だ。
この並びに小さな五弁花の刻印もあった。s先端が丸いが花びら各々に線が入っている。梅でないのかも知れぬ。