nagajisの日不定記。
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M24のテキストを流用しつつM31での変更点を追ってみた。ちゃんと整理できていないのでupはしない。やりながら気づいたことをメモ。
茨木街道・亀岡街道の新設と仮定県道への昇格。その周辺の街道も微妙に変わっている。国道への接続個所も大字レベルで微妙に変わっているのが多い。厳密に追うならGoogleMapsか何かに線を引きながら比べなければならないだろう。そういう細部を一度は見てみたい気もするが、あれだけ路線が大量にあると相当時間がかかるはず。そのうえ誰の役にも立たない。考えただけでケツの穴がむずがゆくなり糞コメントに糞をまき散らしたくなる。
南の方では小栗街道・富田林街道の周辺で大きな変化。富田林街道は千早街道の平野部区間を切り貼りしたもの? M31に補助里道でなくなるものが多数あるので2、3路線を合わせたものである可能性もある。ともかく実際に線を引いてみないとこのへんは解決しない。
二者の間に郡再編があったので単純比較ができない。それを消化した上でないと比較困難。
補助里道でなくなるということが何を意味するのか。改修が済んで解除されたのか、それとも単に不要不急と判断されて補助里道でなくなったのか。京都の場合は改修が済んでも解除されるようなことはなかった。より多くの道を改修するために土木費支弁法があったならば改修→解除で他の道を浮上させたほうがよい。その一方、大阪は特に摂河和の合衆国であったから利害関係の対立が意外に根強くあった印象があり、一地域のみの利害にしか関係しない路線に手厳しかった。役に立たない道はさっさと外された可能性も高い。どっちなのか見極めたい。そのために府会誌精読せなあかん。
さらに言えば補助里道になったからといって自動的に即改修されたわけでもないはずで、郡市町村から申請があって初めて補助が出され工事になったと思われるのだが、本当にその認識で正しいのか。畢竟土木費・土木補助費からその額が支給されたはず。その中に一括されているのだとしたら(路線が改修されたかどうかを)細かく見ていくことは不可能に近い。それやろうとすると府会議事録を読むか公文書漁らなければならないし、読んだからといって全部が全部書かれているとも限らない。だからこそこの道の分析がなされていないのだろう。たぶん。
土地勘のある北摂の辺りだけなら改修記録と指定とを結びつけることはできるんだけどな。
仮定県道の増加=勝手に増やしたんではなく逐一内務省にお伺いを立てて認可をもらった結果。
M24>32の告示比較に加えて統計書で仮定県道の増減も見なければならん。なおM32告示で仮定県道路線がそれだと明示されるようになるが、統計書ではずいぶん早くから仮定県道路線が仮定県道路線として掲げられている(M14?)。20101104の前後の大阪府まとめを見直すこと>nagajis
M24>31で、もしくは統計書で仮定県道が増減したとして、じゃあ減った仮定県道が支弁対象から外されたのか?