nagajisの日不定記。
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中津高架橋の吊り桁部アップ。『道路』第2巻第11号にこの辺を工夫したということが(たった一文だけだが)記されている。吊り桁の伸縮装置を簡略化するため、路面を山型で噛み合わせにして吊り桁と受台の間にStainless steel板を挟んだという。結果は良好で「コンクリートの欠けもなかった」とある。
一般的なRCゲルバー桁では
──┬─ ┌┘ ─┴──
てな形のかけつぎにしてメナーゼヒンジか何かを入れる。ここの場合はそうではなかったらしい。斜めにカットした部分があることで、ごくわずかだが橋軸方向への力が発生するから、橋軸方向の動きが制約を受け、伸縮装置を別途設けずに済んだ(桁端路面と受け側の路面をコンクリートの凸凹で組み合わせるだけで、特段金物を挟んだりせずに済んだ)のではないか。RCでも鋼桁でも伸縮装置の箇所は傷みやすい。RCだと特別な金物を履かせないといけない。しかしそれやると金物が通過車の衝撃を受けるので壊れやすい。昭和7年頃って伸縮装置の工夫が試行錯誤でされてた時期だったんじゃなかったっけか。
というわけで(今更)ネタ本を繰る。
明治の中頃までは、鉄製トラス橋などの場合でも、床版は舗装板兼用の橋板であったから、橋面の隙間の処理もしやすく、装置といわれるほどのものはなかったと考えられる。 本格的な伸縮装置の使用は、バックルプレートの類、更に鉄筋コンクリート床版が採用されるようになってからのこととと思われる。前記時期は、我が国では、明治末期から大正の初めにあたるが、当時の構造はつまびらかでない。伸縮装置が橋梁の付属構造物として、明確に意識されるのは、大正の末以降であろう。昭和中期に入り、支間の長大化、通行荷重の激増に従い、種々の装置が考案されているが、耐久性・走行性・防水性等各方面の問題を、同時に解決した決定的構造は、いまだ開発されていないのが現状といえよう。
『日本道路史』p.884
突き合わせ形式:最初期の形式。桁の端にU字に曲げた鋼板を渡し、その上(隙間)にアスファルトなんかを充填。簡単だが路床の角が欠けやすい。路床にコンクリートが使われるようになると路床端角にL字鋼にヒゲがついたようなやつを埋め込んだりしたが、コンクリの回りが悪く、やっぱり破損しやすいかった。
渡り板形式:一方の桁の路床からもう一方の路床にむけて板を掛け渡したもの。隙間充填。明治後半の技術書で紹介されているが実際に広く使われるようになったのは大正期から。渡り板の取り付け皿リベットや溶接に難がありこの部分での破損が目立った。表面(路上)がくし形に見えても内部で渡り板形式のがあり、大正期の専門書に見えるが、実際にはほとんど採用されず。部品点数が多く複雑になるため(とくにリベット構造では)。厚いくし形渡り板が作れるようになった昭和30年以降普及。
片持ち式くし形式:フィンガージョイントとも。20世紀初頭に考案され大正末から昭和の初めにかけて我が国に紹介された。実用化は新しい。
最近はゴムジョイント式が多い。後付施工可。
まさか路面までは撮ってないからなあ。撮ってないよなあ。