nagajisの日不定記。
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以前ここで大阪市道路元標のことを書いたけれど、ちょっと認識が間違っていた。昭和57以前の道路元標も現元標と同じく梅新交差点の北西角にあった。
第1ビル建設が始まった頃のダイアモンド街。梅新交差点の南東角のビルから写したものだと思われる。手前の富士銀行が現第3ビルの角、左奥に建設中の第1ビルがある。区画整備が再開される以前はこんな感じで不法占拠の木造家屋が密集していた(そんなところによくこんなでかいビル建てられたな、富士銀行)
してその富士銀行の前に旧道路元標らしいものが建っている。頭の丸い所だとか、台座が縦縞模様に見えるところなんかは以前掲げた写真にそっくりだ。
ただし、上の俯瞰写真を拡大すると下のになるというわけではない。上は第3ビルが出来る前で、下のup写真には第3ビルが写っている。時間的にちょいとばかり隔たりがある。なおかつ碑の位置が変わっている感じ。碑と第三ビルの間が結構離れているから第三ビル工事の際に交差点角に移されたんじゃないかと思う(そのせいで前回道路の南側と勘違いしていた)。
第4ビルまで完成したあとで国道2号が拡張されている(昭和54~)。その時第3ビルのある区画が少し切り取られて国道2号の一部になった。上の図はダイアモンド街の上水道の図だが、○つき1点鎖線が区画整理対象区画を示す線で、それが国道側にはみ出しているのがわかる。最初このような形に区画整備されていて、そこに第1・第2ビルと南辺ラインを合せる形で第3ビルが建てられていた。区画の南辺~南東角が余る格好だ。そこに旧元標があったものだから、撤去して新しいものを置いたという次第のよう。
以上、大阪市都市整備局『大阪駅前市街地改造事業史』+nagajisの想像より。写真も同書から引用した(旧標up写真除く。それもこの本に載ってる)。
久しぶりにアルコールを摂取したのでふらふらしながら帰った。まだドーチカ辺にいるつもりになっていて、目の前の道路を渡ったのだが、違う違う、それは梅田新道だ。地下街を通って行っても良かったのだが、そんな成り行きと酔いざましのために地表を歩いていくことにした。
梅新交差点の歩道橋からダイアモンド街を見渡し、上記のことを思い出し、そして地下街のことを想像した。足元にあるはずの巨大な空間のことを。自分が今日経験してきたような飲み食いが、完成から今日に至るまで毎日毎日飽きもせず繰り返されているはずのその空間。快活な笑いやら深刻な話やら罵倒やらゲロやらが30数年間絶えることなく撒き散らされてきたのだろうなと思い、それが大阪の核心の一つなんだなと思うと、妙に愉快な気分になった。大阪ばんざい。混沌ばんざい。と。
そんなウメチカを通って行っても良かったのである。だが敢えて地上を歩きたい気分だった。地下街を体感することなく、あの区画は昭和50年代、この区画は梅田地下センター第一期工事の産物、と、隅々までお見通しなのだぞというつもりになって歩いていった。
何のことはねえ、薬師寺五重塔を敢えて無視して歩いた司馬遼氏の真似だ。そうして結局曽根崎警察署の角からノースモールに入っていったnagajis。
昨日はばたんきゅーで検証できなかったが今日接続して無事動くことを確認した。ぽこぽこぶつけたから心配だったのだ。これで空き容量を気にせずORJ作り続けられる。有難いことである感謝である。
受付撮。いろいろなところに鑑賞のポイントがある。例えば冒頭の「ウェーデング」。「ィ」がねえよ!と笑うのは下衆である。左下の囲みの中では「ウエーディング」になっていることに注意せねばならない。作者はちゃんとわかっているのだ。Weddingであることを。むしろ当時はどちらでも良かったのだ、そんな細かいことを気にするようなやつはバカだ、結婚式の晴れ着のことを書いていることが伝わればよいのだし読み手もそういうものだと汲みとるリテラシーがあるのだと認識したうえで「ィ」を省略しているのだと読まねばならない。省略した理由はただ一つ。左上のスペースに収まりきらなかったから。あと「ィ」まで入れると左8文字右3文字になってあまりにバランスが悪い。
「エレガンス」というそのまんまな店の名?商品名?はまあいいのではないだろうか。形容詞「エレガント」を間違えて使うよりはるかによい。
が、右囲みで喪服の仕立ての宣伝をやっているのはちょっといただけない。この囲み空間だけが異質なものになっている。しかも喪服で個性出しちゃいかんだろ。そればっかりは過去のある時期の一傾向とも思われないし思いたくもない。
あと、冒頭の「ウェーデング」のカッティングが風化つつあってちょっとこわい感じになっているのがいたたまれない。この文字を切り貼りしてものを吐くカットに貼り付けても違和感がないだろうと思う。
那智大社の駐車場の辺りにある看板。無駄にでかい画像なのはご容赦を乞う。道路の法面にこれだけがぽつんとある状況を伝えるにはこうするほかなかった。
場所が場所ゆえに「滝」が那智の大滝を指していることはすぐにわかる。くだくだしい説明を省いた秀逸な省略と思えた。けれどもよく考えてみるとまったく用をなしていない。那智の滝(滝坪近くにある飛瀧神社; 一般に滝へ行くといえばこの神社へ行くことを指している)は駐車場から下ったところにあって、それは看板のぎざぎざの矢印が指し示すとおりなのだが、目標の滝は下にあるわけで、となると看板の「滝」の文字は矢印の下になければならないだろう。看板通りに取れば滝から下へ階段で降りていくことになってしまう。
それでもこれが那智大滝への道を示しているのだと直感的に理解し、ツボを突いたよい看板だと思ってしまったところにポテンシャルを感じる。滝という文字や矢印の配置はどうでもよくて、ただその2つがありさえすれば脳内で勝手に翻訳してくれるものなのかも知れない。例えば右上の離れた所に「滝」の文字があっても事足りるのではないか。
「滝」の文字が階段を降りていくように見えなくもない。ひょっとしたら「滝」は私自身かも知れない。「滝に行こう、滝に行こう、滝滝滝」と滝のことで頭がいっぱいな、あるいは空っぽの中に滝のことのみ入っている状態の観光客の表現としての「滝」なのかも知れない。あ、滝って書いてある。階段状の線と矢印が書いてある。降りていけばいいのだな。的な。
いずれにしろ今一つな感じが拭えない。これだったら島唄の歌詞の可視化のほうがはるかに写実的で正確だ。
遅くまで飲んで仕事に差し支えるのは<br>素人だとかつて上司にいわれたことがあります。<br>でも、なんについての素人呼ばわりしたのでしょう?<br>酒飲み素人だといいたかったのでしょうかね。
まさしく私のことですね! (仕事には差し支えませんでしたが(笑))