nagajisの日不定記。
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岡本駅北の住宅街の中で焼損煉瓦で作られた門柱を発見。比較的サイズが揃っていたのでわざと焼損させたやつだろうと思う。最も東の柱の頭に「セ」らしきものがチラリ。西播煉瓦はこんなものも作ってたのか。
その他は高羽町の辺りで大阪窯業を見つけただけ。川淵の駒止の柱が煉瓦をモルタルで覆ったものだった。
六甲まで辿り着いたところ、八幡神宮の厄除大祭の日に丁度行き合わせたことを知る。何かの縁だと思い参ってみることにしたのだが、いやはやものすごい人出だった。並び始めて参り終わるまで50分くらいかかったんじゃないか。
境内まできたところで真っ赤な幟が目についた。昭和5年に寄進されたものらしいのだが、寄進者が「国勢調査員」というのが一寸面白かった。国勢調査が始まったころ、その調査員となることは名誉なことだと考えられていた。地元の名士が調査員となり紋付袴で各家庭を回ったという話もある。そういう人たちが寄進したわけなのだが、名誉な職についたことを感謝して奉納したのか、もともと名士であったからなのか、国勢調査を宣伝するためなのかはわからなかった。
写真の幟は本殿の向かって右に立っていたが、左にも同じようなのぼり旗があり、そちらは昭和6年にナントカ司という肩書の集団が寄進していた(遠かったのと人垣で近づけなかったのとで確認できず終い)。
神社参道に隣る公園にも国勢調査員の痕跡が。写真のものは「第一回国勢調査員」と人名だけ刻まれたものだが、他に「第○回国勢調査記念植樹」というのもあったので、同様に植樹か何かをした記念の碑なのだろう。
第一回の国勢調査はその意義をひとびとに知らせるためずいぶん苦労したそうだ。人の数を調べるということが課税や犯罪者捜査に使われるんじゃないかということで、その誤解をとくためのキャンペーンやったりポスター作ったりした。「一人も漏れなく,ありのまま」というキャッチフレーズが流行したそうだ。
主はわがまま 妾は気まま 国勢調査はありのまま
なんていう都々逸も流行ったとか。以上 http://www.stat.go.jp/data/kokusei/pdf/kaisetu3.pdf より。
阪神淡路大震災から20年。月日の経過が早く感じられるのは、そのことに思いを馳せていない時間のほうが長いせいだ。日々四六時中向き合っていれば20年は果てしなく長いに違いない。
歩いた街は綺麗な住宅が立ち並んでいて、(表面上は)平和そのものの暮らしがあるように見えた。歯抜けにあった空き地もすっかり姿を消していた。六甲駅に近いところでようやく一つ見つけた程度だ。この間春日野道の辺りを歩いた時にはずいぶん多くあった気がする。岡本はさほど被害を受けなかったのだっけか。
震災の年に神大に入ったN氏も岡本に住んでいたっけな。久しぶりに岡本で降りて、その頃とはまた違った町並みになっているのを知り、動揺した。いかにも神戸臭い小洒落た街。これ以上何度訪れても慣れることがないだろうという、根拠も意味もない自信がある。
何か有益なことをしなければと思い、刻印拓本の整理に取りかかったのだが、B5 サイズに5×6入れられる計算で並べてみて、大阪だけでは2枚足りない/関西に拡げると絶対に収まらないという状況になった。結局2枚追加することになり、その採拓と水張りだけで終わる。何をするにしてもすんなり行かない状況で、そのなかで唯一の突破口だと思っていたものが進まないと、挫けそうになる。
順不同
播煉(大正)「ヲ」 | 播煉(戦後) | 播陽「ハ」 | 別所「ヘ」 | 山陽窯業「山」 |
大正 | 西播「セ」 | 新和窯業 | 東播 | 清水 |
B.C.△H.J. | K2 | 和田「ワ」 | ○十 | |
桂川B | 蹴上23 | ソ二九 | □へ | 分銅 |
大和 | 小島 | 吉野 | 中国 | 吉名 |
松本 | 東亜 | 伊藤「イ」 | 日成「日」 | 江州 |