nagajisの日不定記。
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発行した。。。と書くのも考えてみれば久しぶり哉。
今回は15日ではなく14日を休みにした。前日にほぼ完成させておいて15日は最終調整という魂胆。個人的には上手いこと行ったと思っているが、いつもどおり23時過ぎ発行になったので結果的には「いつもどおり」である。進歩がない。
明日はいろいろやらなければならぬ。土曜18時30分〆の件と19日までに用意しておきたい件を片付けねばならぬ。
書かれてあることは至極ごもっともなことで、うんうんとうなづきながら一気に1/3ほど読んだのだけれども、そういう入ってきやすい文章ほど眉にツバして読まなければならないと思っている。別に何かに/誰かに楯突こうとか、内容がどうのという話でなく。じゃないと「読んだ」という記憶しか残らない気がする。
産業技術博物館=技術者の卵を育成するために必要。科学知識を理解するためのものでなくて。自然科学の原理を模型で理解することは、科学教育には必要だがモノづくりへの興味には結びつかない、という説。そうだろうか? と考えてみた。ラジオの仕組みを模型や解説で理解することと、実際にラジオを組立ててみることと、どっちがエンジニアリング道へ入るきっかけになるか。人それぞれなんじゃなかろうか。実際に自分で作ってみることは理解の第一歩であり王道である。それを面白いと思い続けていこうと思うかどうかは、やっぱり人それぞれなんじゃないかな。技術が複雑化し深まってあらゆるものがブラックボックス化している。そのブラックボックスを理解するためには、例えば私が小学校の間に学んだことよりもはるかに多くのことを知らなければならない。それ考えると仕組みを手っ取り早く理解し、それの応用とか組み合わせとかをしやすくすることって大事なんじゃないか。まあ、そういうやり方の博物館が行き詰まっているのだから同じ轍を踏んだところで上手く行くわけないか。
思い切って「モノ作り=尊い」という構図をぶっ壊してみてはどうか。モノづくりにのみ依存してきて立ち行かないのなら他への転換を図ってもいいんでないか。それこそIT技術とかさ。あれは資源を必要としないのだから。モノづくりを生業とし続ける限り、原料を買ってくる手間とか製造コストとか人件費ガーとか続けなければならない。今外国で始まっている「Pokemon Go」とかすごくいい線行ってると思う。
この手の話では必ずアイアンブリッジ峡谷が出てくるけれども、日本があれをお手本にすることはできるんだろうか? ドイツの製鉄ミュージアムもそう。そういう場所がないというのもあるし、見て「すげえ」と思う心が、風土が日本にあるんかな。なんだろう、日本はこんなに素晴らしい国なんだ! っていう話を見たり聞いたりした時に、そうそうと納得する思いがある一方、自分のことではないような、こっ恥ずかしくて直視できないような感覚、がどこかにある(少なくとも自分には)。外国人が日本の良さを褒めて、それを聞いて「いいことだったんだ」と知るような感じ。知ったところでそれを宣伝してみようとは思わない、自分自身を褒めようとは思わない、そんなふう。アメリカ人がアメリカに対して抱いている愛国心のような愛国心は日本にはない。日本に住んでいながら政府のやること役所のやることに反感ばかり抱いていて、そのくせアクションは起こさない。そんな無関心。
日本人がアイアンブリッジ峡谷のミュージアムを見て、イギリスの産業革命を知り、その偉大な足跡に陶酔することはたぶんできる。けれども石見銀山や富岡製糸場などを見て、陶酔し、日本の過去に尊敬の念を覚えたりするかな。「すごいね」っていってお終いなのが関の山なんじゃないかしらん。そこで素直に誇りに思えるような、そういう風土をまず醸成する必要があったんじゃないだろーか。
てなことを、読みながら考えた。出版は2000年。それからもう16年も経過しているのにほとんど変わってない世界。