nagajisの日不定記。
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印南郡の煉瓦製造業史の転変とか由良要塞への煉瓦納入の経緯とか吉野木馬道の謎とか、調べてくれんものだろうか。予算内で。
至極曖昧な定義の元で「ロマン」という言葉が使われていて、ここでいう「ロマン」には男の野望とか妄想とか目ぇ開けて見る夢とかは含んでなく、要するにハーレクイン系のロマンスのことをゆうてるんだとは理解する。「ロマン」という言葉の曖昧さは何も現代になって始まったこっちゃない。日本にロマン主義文学が紹介された時点でよくわかってなかったんじゃないかしらん。もちろん私も知っちゃいないが。
あ、それゆうたら樋口一葉は日本におけるハーレクイン・クラシックスの先駆者になっちまうな。えらいこっちゃな。
前日の晩+宝殿へ行く電車の中で読み終えて、帰りでまた2/3くらい読み直してしまう。読むと猫間川への愛惜の念が強くなる。笑うのにぶっ崩された煉瓦の行く末が気になる。全部あのへんに埋まっとるんやろか。平野川の底は浚われてるから無かろうな。
ここに描かれた情景はもうどこへ行っても見られない。新世界の辺りとか大阪城ホール周辺とその対岸とか、キレイキレイになりはてた大阪の元の姿が知れて興味深かった。阿倍野Q'sモールの辺りとかも多分あんなだったのだろう。観光でめぐるようなとこやないよね。人間が必死になって生きてた生臭い土地、生きることに倦まない真摯な姿勢には敬意を抱く私である。
構造物ごとに竣工年と検出刻印をリストアップしてみたが思っていたたほどウマくない。頭の中の漠然を形にしただけで、これから新たに感づかれることもなければリストの信憑性もない。砲廠とか司令所とか細かな構造物で刻印が見つかってないため随分漠然とならざるを得ないし、確実に構造物由来と言えるもの=持ち込まれた頃の年限が確定しているものが少ない故。友ヶ島電燈の背牆階段の堺煉瓦は友ヶ島電燈竣工年をオシリとしてよいものか? 完成後に追加で作ったんやおまへんか? てなところを完全に排除し去ることができない、そういうのが大半。まあ、それは当初から予想していた事と言えば言えるのだけれどもな。その言い訳を言ったところで言い甲斐のある内容じゃない。
せめてもの救いは仮にそうだと考えたところで会社テーブルと矛盾はしないというところ。
あとは、生石山第3砲台の大阪窯業が浮いていることとか、赤松山堡塁伊張山堡塁が空白地帯になってることとか。27年前後にぽっかりと穴が開いている謎。そしてここに現れない大量の無刻印手成形煉瓦の扱い。