nagajisの日不定記。
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あのおぞましい量の工場を整理しないといけないと思うとassの穴の辺りがむず痒くなる。整理できるかとも思う。そこはそれ、中国四国編ができあがった時に眺めて●を見た時の感慨を思い出しつつ予期しつつやるしかねえでガンスリンガー。ハットした時にはもうちゃんぽんなのだった(意味不明)。
無論これがメイン記事にはなり得ないので次号に間に合わすことは考えていない。だいいちあれだ、刻印表はどうするのか。まだふみもみぬ煉瓦刻印の印影をまとめてみたところで。そういう印影*かもしれない*の煉瓦が関西地方では絶無*に近い*|*な筈*ということをいう時の参考資料にしかならないのだ。そもそも印影と確定してないんだから印影とは書けぬではないか。ネットで画像を拾ってくるにしてもまああれだし、煉瓦探すためだけにあの辺へ出かけるのも行き過ぎている。(ここでしばし停止。然るべき場所に然るべく依頼とか考えてみたが忘れられてるだろうからな。しかし他に良案がない)
ともかく工場表は作らないとな。愛知に行くより先に伊賀上野とか四日市とかだろうし。近鉄沿線三重県内はまだ行ける圏内やけんな。平賀圏内エレキテル・ビリビリ。
ケータイ小説だからといって馬鹿にできないな。需要があるということは即ち読まれる価値のあるものであるということだ。本という物の役を立派に果たしている。単に提供のしかたが不味かっただけだ。届くべきところに届けられればそれでよいのである。
ラノベも何とかしてあげたいところである。地平を開拓するセットをさっさと作ろう。
日本人は動物やモノといった人以外のものに人格を見出すことができる。人格を仮託するっていうべきか。人的に扱って格を感じることがわりかしある。鳥獣戯画の兎や猿に、人の真似をしている動物という以上の親近感を感じたり、アザラシに市民証を発行したり(これは他国のほうが先かなOracle犬とかいたし)、大事にしているものを落した時に「ごめんごめん」と謝ってみたり、針を供養したり、さつまいもを「おいもさん」と読んでみたり(これは関西限定か。にしてもそういうことを言う文化圏を内包しているのは確か)。そういうのって外国には少ないんじゃないか。人形を人のように扱うのはどこでもあるけれども、草木さえ弔って草木塔立ててみたりとか、珍しいんじゃないか。
墓に参るという時、外国ではたぶんそこに眠る霊=遺体が礼拝の対象であって上に立っている十字架に礼拝しているわけじゃない。日本はどっちかというと破壊しもとい墓石のほうに向かいがち。墓石に霊が宿ってるみたいな捉え方を(いつのまにか)している。墓石を綺麗にしてやらないと祟るんだったらそもそも墓の中に閉じ込めとくなって話。
仏教の影響か、輪廻転生の思想があるからか。それともモノに神が宿るというアレか。トイレにはそれはそれなきれいな女神様がいることになっているのとか、あの騒がしい外人さん聞いたらワイワイ叫んで止まらなくなるんじゃないか。
アニメのキャラクターとかゆるキャラとかに馬鹿に細かな設定をつけるのが流行っているけれども、それも同源の国民性なんじゃないかなあ。そうやって実在の人間存在に近づけることが好き、というかそういう性質の国民。あらゆるところに神が宿っていて人間生活を律しているというのは唯一神の堅苦しさがなくていい。いろいろなものに対して優しくなれる気がする。その気になれば。
南方熊楠が書いている田辺の?トイレの神様はとてもかわいそうである。厠の肥溜めの中にいて、右手で糞便を受け、左手で小便を受く。そこに唾を吐けば受ける手が塞がっている故仕方なく口にて受く。故に便所に唾を吐いてはならぬ。と諌められていたそうだ。五目並べも新喜劇も関与する隙がないというものだ。(そういう話を作ってまでして諌めなければならなかった理由は何だろう? 唾する行為が不衛生だからか? 唾に特別な意味・用途があった? 単にはしたないといえばそれまでかも知れんが、便所限定なのは何故。)。
曽根で人尋ねの収穫がなかった話も愚痴も本も消えてもーた。とことんついてない日だな。しっと。
全く同じ形の部品を製造し、互換性を持たせることで、機械や商品の大量生産を可能にした「標準化」。それがいつ、どのような形で始まり、人間生活にどんな影響を与えたかを教えてくれる本。産業革命以降の技術史を「標準化(規格化)」の観点からよみなおす本という言い方もできる。
以前KINIASの先生だったか会員さんだったか(企業を定年退職した技術者が多かった)に伺った話では、戦後にアメリカの機械が入ってくるようになって一番驚いたことはその部品の互換性の高いことだったという。どこかのネジを外し、別のネジ穴にはめてみても何の違和感もなくはまる。他の機械からとってきた部品に交換しても何ら支障が出ない。そんなことに驚いたと。今からすればなんでそんなことにと思ってしまうが、戦前戦後の日本ではまだ「標準化」が貫徹されていなかったのだ。工場やメーカー内では互換性が取れていても他社の機械であったり他分野の製品であったりするとダメ。素材としての部品(ネジとか鋼管とか)もそう。航空機のエンジンでも使用する鋼管のサイズが無数にあって製造を困難にしていた(規格化されていれば規格のサイズのうちから適当なものを選択すればよい)。というような時代から「ものづくり大国」と自賛するような国になるまでの間に何があったのだろうと常々疑問に思っていたのだけれども、それは要するに「規格化(標準化)」が透徹したことによって製品を精密に・大量に生産できるようになったからだった。
職人がすべて手作業で作っていた時代から共通部品を機械で作るようになる変化は連続的というか漠然というかな感じだろうと思っていたのだけれども、「この時から標準化が始まった」という時期および工場が案外はっきりとわかっているのだった。はじめはフランスで大砲や銃の製造に共通部品を採用すること(標準化の概念)が始まり、それを学んだアメリカが工業的に確立させた(アメリカ式製造方式)。そうして産業革命発祥の地イギリスに渡ってという順。それもちょっと意外だった。イギリス辺りで出来上がったものとばかり。蒸気機関のピストンも設置ごとに研削してアタリを調整する必要があった。
機械で作っていれば簡単に同じものができる、と思ったら大間違いで、互換性を有するほどの精度を保つことが大変。そこを高精度な工具の開発とか測定技術とかの工夫でクリアしてった。やがてあらゆる産業にかかわる部品、ネジとか鋼管とかについて規格を設けるのが有利だということになり規格が生まれた。けれども浸透にはやはり時間がかかったようだ。戦後の日本は標準化の果実が熟れた頃にそれを受け取ったので「おいしくいただきました」てな感じかも知れない。もっとも大正期からJESを策定してたりはする。徹底したらこんだけ有利よ、っていう姿を太平洋戦争で見せつけられて目が覚めたんじゃないかな。
ふだんあまり意識しない「規格(標準化)」にもちゃんと歴史があって、実社会に多大な影響を与えた、というより標準化が近代化の鍵だったのだと思い知らされ瞠目した。2002年に講談社メチア選書で出たものを加筆訂正して学術文庫にしたもの。行き帰りの電車で読むつもりが昼飯+行きでほぼ読み終えてしまう。それだけ興味深い内容。