nagajisの日不定記。
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4.4m×7.6mの空間に私説関西煉瓦製造業史を詰め込むのである。
展示数72。最大108。
掲示物 36+1+1+サテライト1.8mx1.8m。と展示名称幕。
正面壁面。
を一時間ちょっとで掲げてしまわないといけないなんて無理ぽん。
中国地方も含め72個に収めることは可能。重複や耐火煉瓦耐酸煉瓦舗装煉瓦やちょっとそれはさすがにまずいだろうというあれとかそれとか会社不明のイリヤマ火とかを省いて尚多少の余裕がある。それらを許容するなら煩悩の数用意することはできる。できるが運べない。あと展示する時間がない。
正面壁面の消長グラフをいかに短時間で張り上げるかにかかっておる。かかっておるのである。
富田林の寺内町の外れで。石垣に石臼を生け込む?と石垣が安定するという言い伝えがあるそうで、自分が住んでいるところの近くにもあるのだが、ここで見たものは中々本格的かつデカい。直径2尺はあるんじゃなかろうか。こんな大きな石臼をどうやって回したんだろうと思う。廃棄処分と決めるのもなかなか勇気のいることだったのではなかろうか。だって高価そうじゃん。
寺内町ではこのほかにも唐臼の台とか駒繋ぎ石とかもあった。このへんまではまだ想定の範囲内だが意外と煉瓦も多かったりした。やはり古くから保たれている街並みにはどこからともなく入り込んで抜け出せなくなった煉瓦が多いようだ。保存されない住宅地ではこうはいかない。
ここ数年、岡町の住宅街を横断する生活をして、当初思っていた以上に速い速度で建物が建て変わっていくのを目の当たりにしている。気づいた時からすでに壊れかけで放置の態だった古民家が取り壊されるのはもちろん、安泰だろうと思っていた準豪邸が何の前触れもなく取り壊され更地になってしまったり、その跡地にそそくさとプレハブ住宅が育ち素知らぬ顔をし始めるのを目撃したりもする。岡町を知るようになってからこのかた変わった街区の戸数は両手じゃ足りない。下手したら両足使ってもなお不足する。
そういう跡地で煉瓦を採取したこともあるけれども、チリ一つない更地になっていることのほうが多い。ここ何十年かの間に2度3度と建て替えられた結果かも知らぬ。少なくとも戦前を保っている家はごくわずかしかないはずで(両手両足の例えをまた使いそうになった)、その割に煉瓦溝が残っているのは逆に興味深い現象なのかも知れぬ。区画の民家が古いから煉瓦溝も無傷なのではなく煉瓦溝を残して上っ面ばかり更改されている場合も多いようなのだ。どこかに必ず民家跡更地がある状況が定常状態なのであり、至って普通の状況であるのか、それとも特に今が建て替えの時期なのかはわからない。ただ言えるのはそうした改修によって煉瓦溝まで無くなるケースが多いであろうことと、今後も増え続けるだろうということだ。そのうちすっかりコンクリ溝になってしまったらそれはそれで寂しいものがあるけれども、だからといって保存する価値(普遍的に通用する価値)があるかと問われたら否と応えるしかあるまい。どう考えたって煉瓦溝のほうが不便なのだ。破壊に乗じて普段見ることのできないものを見ることができている現状を受け止め感謝しておくほうが建設的でもあるだろう。