nagajisの日不定記。
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Bフレッツなくせに上り下り15kb/sとかなってしまってにんともかんともである。昨日だったか一昨日だったか、モデムの赤ランプが点灯しているのを発見して「なんじゃこりゃ」と思っていたが特に何も起こっていなかったので無視した。昨晩も[禁則事項です]を見て[禁則事項です]したはずなのだ。何のストレスもなく。しかし今日FTPでファイルを引っ張って来ようとしたらこの体たらく。して改めてランプを確認したら「FIBER」が赤色で点滅しておる。外界に通じる光ケーブルがなんかおかしいらしい。(PCがXpなせいではない。タブレットも同じ状況だ)
この状況に難儀を加える要素が嫌らしく用意されていたりする。Bフレッツファミリータイプが廃止になるため今月18日に工事が入ることになっている。仮にファイバーがおかしかったとして、その点検をしてもらうことになった場合、18日にまとめてやっちゃっていいですか?とか言われそうな気がする。NTTならやりかねぬ。そうなったら次号発行が覚束ない。今の状況で30MB超なんてアップロードできるわけがねえ。
ここら一帯の工事を集中的に行なっているらしいので、その影響でおかしくなっているのだったら---屋内の何かをいじらなくて済むんだったらいいのだけど。ともかく明日電話しなければならぬ。
ああ、原稿早めにあげておいてよかった。
キキというと真っ先に「空中ブランコ乗りのキキ」を思い出す40代男性である。小学校の国語の教科書に載っていた作品。詳細はもう忘れたが最後はキキが死ぬ話である(えらくざっくりだな)。その内容ではなくお話をひととおりうやったあとに聞かされた朗読テープのことをよく覚えている。
冒頭でサーカスのMCが主人公たる空中ブランコ乗りのキキを紹介するシーンがあるのだが、まあサーカスの場という臨場感を出すためだろう、多少大袈裟に「空中ブランコ乗りの、キッ、キーー!!!」と叫ぶのである。その「キッ、キーー!!!」という叫びがどういう具合かわかるようなわからないような巧みさで子供心をわし掴みにしたのだった。私だけでない。クラスの男子生徒はみなその「キッ、キーー!!!」に魅了された。魅了されれば即ち真似てみたくなるものである。以降何日も「キッ、キーー!!!」の叫びが休み時間を満たしていたように思う。改めて書いてみれば歯牙にかける余地もないくらいに他愛もない記憶である。
それと同時に西門君のことを思い出す。この作品のラストの辺りでキキが老婆に忠告されるシーンがある。なぜ老婆、なぜそういう言葉かけであったのかは忘れてしまったが、ともかく「死ぬなよ」と忠告されるのだ---より高いブランコに挑戦するのだったか、自分の死期が近いことを勘づいていながらなお空中ブランコを続けようとしていたのだったか---。ともかくその「死ぬなよ」のセリフを、朗読指名された西門君はさもさりげなく「死ぬよ」と読んでしまったのだ。言い切ってしまったのだ。結末は死ぬのだから(いや死んだのか死ななかったのかはっきりしない終わり方で「どっちでしょう」みたいな読解をやった気もするな。しかしストーリー的には死んでいる流れであったはずだ)そう言い間違える可能性はあり得たと思うが、何の前触れもなくそう断ぜられたことに、私を含むクラス全員は大笑いに笑ったのだった。
大笑いはしたけれども、その後「それのほうが相応しくね?」という意見があがり、その見解が主流になった。死ぬかもしれない人間に「死ぬなよ」と声をかけるのは当たり前過ぎる。「おはよう」「おやすみ」「こんばんは」と声をかけるのとさして変わらない。「申す申す」の略として言っているのだと意識せずに「もしもし」を使うようなものである。それよりもむしろ「飛んだら間違いなく死ぬよ」と言われてもなお飛ぼうとする(そして実際飛んで死んだ)キキの決意の強さであるとか心意気であるとかがかえって強調されるようであると、まあそんな感じの解釈がクラスを席巻したのであった。
ある意味怪我の功名を得た西門君。渦中にあって彼はそのことを誇りもせず又恥じもせず、例の多少困惑した顔をしただけで場は収まった。そうして相変わらず足が早くてドッジボールが上手な人気者であり続けたのだった。