nagajisの日不定記。
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さすがに3日目にもなると人が減ってくる。このまま減り続けて最終日ゼロというのも考えられるがそうなったらそうなったで有難いかも知れぬ。何しろ設置に1.5時間+αかかったのを30分で片付けないといけないのだ。最終日5時までと書いてしまっているので早く切り上げることもできぬ。そればっかりがいま現在の不安である。
来場者減少は特に悲しんだりしていないけれども、ギャラリーの成績として考えた時に全然貢献できていないわけで、そこのところは申し訳なく思う。質で見てもらえないものだろうかのう。今日もまたお役に立つことができたし見ず知らずの方に煉瓦の存在を伝えることもできたのである。
「型取りくん」で刻印の底の形を採取してやって、それを拓することを思いつく。岸×泉はそこから石膏に取り直したけれども、型のほうを直接拓してやろうというわけである。左右反転することになるが目的はこれで十二分に達せられる。
結果はこうなった。ここまで似ていれば同じといっていいんじゃまいか。2画目の払いの太さが違ったり3画目の太さが違ったりというのはあるけれども、もともと市川橋梁六は刻印の底がきれいでないのと縁がまくれていてシームレスになっちゃっているところがあるので厳密に再現することができてないようだ。墨を乗せたところよりもむしろ表面付近のシェイプのほうが生石山六に似ている(皺よっている辺り)。
底の不鮮明が印母の摩耗に起因するものだと面白く正当什麼の時什麼生なのだけれども、市川橋梁が明治21年、生石山が明治22・3年なので市川橋梁のほうが新しい印を使っているべき。しかし生石山のほうが彫りが深く、底は鮮明。軽く打ったか強く打ったかの違いでしかないのだろうか。
生石山と市川と取り違えたりしてないよな。市川橋梁の煉瓦は山陽形なので現物見ればわかるんだけど、型だけだとどっちかわからんくなる。一画目の左に欠けがあるのがどっちかで、それでちゃんと分別するようにはしてたんだけど、大丈夫かなあ。