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2017-11-10 [長年日記]

[煉瓦展] 4日目

画像の説明

鋼橋の場、もとい公共の場で開催している展示会であるというのに、その受付の机がこんな状態だというのは、いくらなんでも酷すぎやしないか>nagajis。

今日は朝から資料の整理をした。東雲新聞のコピーが山積みのままだったので、それまで取っておいた新聞記事コピーとともに整理し直しファイリングした。珍しくジャンル分けして付箋まで貼ったりしたものだからたっぷり4時間かかった。そんな最中にはるばる遠方から来て下さったお客様があっておもてなしもせずご覧頂いたりなどして何とも非道い話である。催主敬白顔面蒼白、大沼沢は梁山泊である。

今日もまた多くの人に煉瓦を見ていただくことができた。地元にお住まいでこういうのがあることをご存知でなかったという方、建築をやっていたという方、仕事終わりに駆けつけてくださった方、エトセトラ、エトセトラ。皆様に心から感謝を申し上げたく候。そのくせ机周りの傍若無人は改めるつもりがないという非道。

[煉瓦][] 煉瓦の組成分析

資料整理の最中に、とても重要な文献をコピーしたまま忘れておったことに気がついた。大日本窯業会雑誌No.370(T12.6)、工学博士近藤清治の報文「普通煉瓦の組成」。日本煉瓦製造の煉瓦と大阪窯業の煉瓦について、その薄片を作って顕微鏡で観察して組成の違いとか含まれる鉱物とかガラス化の状況とかを明らかにしたもの。「粘土を焼くとなんで固まるのか・どんなふうに固まるのか」、を科学的に分析した最初の報文と思われる(もちろんわが国での話)。

結論から言うと、日本煉瓦製造の煉瓦の胎土は石英の含有量が比較的少なくて(大阪窯業の粘土に比べて)、溶けにくいこの石英があまり多すぎると固まりにくいらしい。日本煉瓦製造の煉瓦は低温でも容易に焼結する。玻璃(おそらく溶融してガラス化したSiO2)成分は比較的少ない。面白いことに圧力試験をするとヒビが入ってから崩壊するまでにずいぶん堪える。なんというかこう、粘っこいとでもいうような性質があったようだ。

一方、大阪窯業の粘土は極めて多量の石英、著量の正長石、ラジオラリア硅石(いわゆる放散虫:プランクトンの化石)が含まれる。こいつらのせいでなかなか固まらないので高温で焼かねばならない。その代わり高温で焼くと石英や正長石や角閃石が溶融して強固になる。ガラス化している成分も多々ある(並焼三等からすでにガラス化してる。それ以上よく焼けた二等一等、焼過煉瓦なんかは玻璃化が顕著)。そんな感じなのでひび割れまで大きな力に耐えられるがその一線を越えるとすぐに崩壊してしまう。

ざっくり読んでそんなことを知る。ほんとはもっと石の成分とか特徴とか知ってないと正確なことが書けない。そしてその方面の知識がまるっきしだ。うむ。

[煉瓦工場] 稲葉組@堺ほか

資料整理の際に堺市街地図の片割れが出てきて、そういやそんなの録ってたなあと思ったが、もう片方がファイルされてねえ。堺市街地の南側のいっちゃん大事な部分なのに。

帰ってその生き分かれを探したら、そこに菱橋が乗っていた。要するに住吉橋通りが旭川を渡る橋、現在の大浜北町交差点の位置だ。その西詰ということはさらに海側ということになる。大阪窯業はここからもう1ブロック南のところ。旧地名でいえば中附洲。住吉橋通の中洲には原口工場があって、堺煉瓦は現在アゴーラリージェンシーとゆうホテルが建っているところと国道挟んで向かいまで。堺煉化石は「堺区南附洲新田浜」(@朝日広告)で、のちの堺煉瓦とは異なる場所。それが堺附洲煉瓦とおなじなのかどうかは微妙だ。あれ、堺附洲も中附洲だったっけ・・・。うー、整理つかん。


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