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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-11-09 この日を編集

[陸幼日記]十一月九日 日曜日 晴

服装検査後直ちに大講堂に於て「ニュース・東幼・陸士(予科)の映画見学。以後は兵器手入及勉強をなす。午後は図画を記すこと三時間に及びたり。麗かなる秋の日曜いと静けく和気靄々として空中を行くが如し。遂に集会所へも行くこと能わず。

〔nagajis:」が抜けている〕


1942-11-09 双葉山・照国来校 この日を編集

[陸幼日記]十一月九日 月 晴

今朝に至りて急に気温低下し、一・二時間目共に筆を把るに困りたる程なり。
双葉山・照国来る。三時間・四時間目は土俵場の周囲に集合す。先ず〔づ〕双葉山の『角力を何故に国技となしたるか』の話ありて後、両力士他五、六命の力士に訓育班より五名宛稽古をつけてもらい、後四股ふみ・しきり等の要領を習う。
角力は神代より剣・弓と共に行われたるものなり。然して角力には礼儀を第一とし、正義感を第二に必要となすと。又攻撃精神を必要とす。角力の極意は「突き」にあり。今日此の二大偉人に接し特に双葉山のその人格勝れて、さすが横綱なりとの感をいだきたり。照国僅か二十四才にして彼の体躯誠に偉大なり。豈偉ならずや。
午後授業二時間。後教練あり。近日我が親父は猛烈に剛健になられて我等を鍛え、又我等も剛健なるべく努むるなり。剛健進取、実に之熊幼の伝統精神なり。


2007-11-09 予告 この日を編集

[ORJ] 次号

15日発行(0時公開)は微妙。最悪15日24時までとかになるかも知れない。できるだけ0時を目指すが、これまでのように無理ができなくなった。ご了承いただきたい>各位。無理して失敗するよりはいいだろう。

いらいらすることばかりだ…


2008-11-09 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #70

空気を読まぬままPs考察を続けているとcron書き込みだと思われるかも知れない。それもまたアリかも知れない。

画像の説明北摂にて。この手の聖書看板が北摂に入ってきたのは新世紀になってからだと思う。95年に東北で28周年記念行事をした時、象潟かどこかで初めて見て、畏怖の念を感じた。自分のなかでは一時期東北の象徴のようなものでさえあったように記憶する。自分の色彩感覚と同じなだけになおさら恐い。

ところで廃道はどっちに入るんだろう。

[企画] (追記分)

画像の説明どんどん後ろのほうに流れていってしまうので再掲。11/23・11/24に奈良県川上村でOFFします。鳴川山林道という林鉄跡を見に行きます。

以下流用。鳴川山林道は「林鉄の軌跡」で大きく取り上げられているのでご存知の方も多いはず。昭和30年頃には奈良県唯一の軌道(手押し軌道)、44年まで稼動。麓から1200mあまりの索道で山上が岳の山腹へ至る。その上に1.6km(短っ)の手押し軌道。

「林鉄の軌跡」には散々おそろしげなことが書かれている。何しろ標高差500m。そこまでの道はあるが途中で崩壊したり埋没したりするらしい。うえに熊が出るという。以上流用。

いまのところ絹路さんとnoaさんが参加するかも、というお話。私は22に前乗り一泊、23日の朝現地集合で探索、ではいかがでしょうか。もし他に一泊したい方がおられたら一日ずらします(23日集合→一泊→24日探索)。

nagajisは、始発に乗って吉野口に着けるのが9時前だったはず。そこから索道麓まで自転車で移動しつつ寄り道していきます。五社峠か伯母峰峠の旧道を見てみたいっす。それ以外にも他人様のお宅に寄り道するかも。その前に体力が持たないかも・・・。


2011-11-09 この日を編集

[絵葉書] 雑:大阪・亀の瀬地すべり2

画像の説明

先日掲載の続き物と思われる一枚.別の店の一山百文の束の中(の×5)から発掘した.変形が進行し,古レールで補強された亀の瀬隧道が写っている.壁の様子からすると大正期に作られたC製隧道のほうだろうと思う.写っているのは誰だろうか.土木学会誌読んだらわかるかも知れない.

古絵葉書は,ある人にとっては無価値なものでも,ある人にとってはとても有益なものになったりするから面白い.すごくニッチなジャンルに興味があって,転売する気も儲ける気もない自分にはちょうどいい対象だと思う.

[独言] 稿了校了

ようやく本日香料したとの連絡。旧版地形図を沢山使い過ぎて国土地理院を煩わせたらしい。次は気をつけよう。

てか、ことえりの辞書には「稿了校了」という言葉がないのだな。永遠に書いてロッテか。


2014-11-09 この日を編集

[独言] ディスプレイ新調する

結局ポンバシで新しいのを買ってくる羽目になった。予備ディスプレイはうんともゆんとも言わないし、取っておいたはずのジャンクパーツはいつのまにかほかしてて見当たらないし、15インチの陰極管が18.1インチのに入るはずもないし。しかしSXGAのディスプレイが2480えんで手に入るご時世になっていたとは思わなかった。無保証ジャンクでなく動作保証1ヶ月のお品が、だ。隔世の感がある。

新しくなったお陰で左上隅の黒ずみと焼付と複数本のライン抜けからも開放された。この際だから焼け太ってもいいかなと思ってみたりしたんだがまたnagajisのくせになまいきだと言われるのが目に見えているから止めた。

ディスプレイ切り替えの件も解決。怪しいパーツ系の店でKVMスイッチャ(新品700えん)を発見した。ご丁寧にUSBも切り替えられる一品だ。ただしUSBのバスパワーから電源を取っているらしくて強制的にそれを利用させられる。スキャナ+プリンタは共用だからまあ便利ちゃ便利なんだけど。あとMacがディスプレイを正しく認識できなくて起動のたびに640×480になる。起動時にオンザフライ確認しにいくからそこでこけてリセットされる模様。立ち上げ後に手動で設定してやらねばならぬ。あれ、オンザフライってこんな使い方だっけ。

早く済ませようと思って午前中から出かけたのに店が昼12時オープンで無駄な時間を過ごした。雨の中歩き回ってへとへと。そのせいで肝心のpdfが進まず。ひととおりさいごまで入れたが細部ができてねえ。

(追記:KVMスイッチャの件は解決した。1280x1024 75Hzを選んでおけば桶)


2017-11-09 この日を編集

[煉瓦展] 3日目

さすがに3日目にもなると人が減ってくる。このまま減り続けて最終日ゼロというのも考えられるがそうなったらそうなったで有難いかも知れぬ。何しろ設置に1.5時間+αかかったのを30分で片付けないといけないのだ。最終日5時までと書いてしまっているので早く切り上げることもできぬ。そればっかりがいま現在の不安である。

来場者減少は特に悲しんだりしていないけれども、ギャラリーの成績として考えた時に全然貢献できていないわけで、そこのところは申し訳なく思う。質で見てもらえないものだろうかのう。今日もまたお役に立つことができたし見ず知らずの方に煉瓦の存在を伝えることもできたのである。

[煉瓦刻印] 市川橋梁六と生石山六

画像の説明

「型取りくん」で刻印の底の形を採取してやって、それを拓することを思いつく。岸×泉はそこから石膏に取り直したけれども、型のほうを直接拓してやろうというわけである。左右反転することになるが目的はこれで十二分に達せられる。 画像の説明

結果はこうなった。ここまで似ていれば同じといっていいんじゃまいか。2画目の払いの太さが違ったり3画目の太さが違ったりというのはあるけれども、もともと市川橋梁六は刻印の底がきれいでないのと縁がまくれていてシームレスになっちゃっているところがあるので厳密に再現することができてないようだ。墨を乗せたところよりもむしろ表面付近のシェイプのほうが生石山六に似ている(皺よっている辺り)。

底の不鮮明が印母の摩耗に起因するものだと面白く正当什麼の時什麼生なのだけれども、市川橋梁が明治21年、生石山が明治22・3年なので市川橋梁のほうが新しい印を使っているべき。しかし生石山のほうが彫りが深く、底は鮮明。軽く打ったか強く打ったかの違いでしかないのだろうか。

生石山と市川と取り違えたりしてないよな。市川橋梁の煉瓦は山陽形なので現物見ればわかるんだけど、型だけだとどっちかわからんくなる。一画目の左に欠けがあるのがどっちかで、それでちゃんと分別するようにはしてたんだけど、大丈夫かなあ。


2020-11-09 この日を編集

[独言] お手紙を書き疲れる

尻に火が付き始める頃だというのに大変重要なお手紙が3つも4つも届いてしまい尻が炭化してしまいそうである。うかつに返事も書けないような大事な要件。頑張って2つ書いて、3つ目で断念。時間をくれよ、時間を。あと気力もほどほどに(気力がありすぎて長くなるからいけない)。

お手紙をいただくというのは嬉しいことだ。世の中からすっかり忘れられたわけじゃないのだと慰められる。

[奇妙なポテンシャル] 何が一番いいかって、ワケギというチョイスだとおもう

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6375989

近年稀に見るハイレベルな奇妙なポテンシャルである。生きていてよかったと思う。

いくら書いても言い尽くせないのがわかっているので批評は止しておく。ただど根性大根が大阪市の市民証を得たりだとか枯れてクローン作らなければならなくなるような騒ぎになる前に抜かれて失われたことは幸いだったと言わなければならない。そういうものでしか元気を貰えないようなら自身の暮らし自体を見直したほうがよい。あるいは道端の雑草に思いを寄せたほうが手っ取り早く、かつ詩的であるだろう。

かのワケギを二代目にしようと画策している人々が存在したりするのではないかと思うとなかかな寝付けない。

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_ あきら@大阪 [寝付けない事は無いが大体同じような事を思ってたのが身近に居てワロタw]


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