nagajisの日不定記。
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5日目、と銘打っておきながら昨日撮影した写真である。会期のうちの8割方はこれくらい閑散としている。それ以外の時間が濃密すぎて体力が続かない。
今日もまた沢山の人が訪れて下さった。雲の上の存在のような方から見ず知らずの豊中市民AさんBさんCさんまで。。そうして蒙を啓かされるご教示も頂き、開催して良かったと心から思う。あのお説はもう全くこれで看破し了んぬといわねばならぬ。目からウロコとはこのこと、学問とはこういうことと、思ったことだった。じゃあそれに恥じぬようなことをここに書けよと自分自身を思わないでもないがどだい無理な注文である。うむ。
そうそう、今日は初めてリピーターがあった。長年版画をやっているという卒寿超のお父さんである。確か2日めに来られて拓本を数枚さし上げたのだが、そのほかのも気になったからといって、また足を運んで下さったのだった。私(nagajis)の名前も書いてほしい、額に飾りたいから、とも仰る。恐縮至極である有難いことである。
そんなこんなの話をしているうち、世間話となり、お父さんの身の上話となった。田舎を飛び出して現東京電機大学を卒業、すぐさまパラオの前線基地に送られ、その途中で魚雷攻撃を受けて船が沈没。命からがら生きて帰ってきたけれども、息つく間もなく宮崎に飛ばされて、終戦までそこで電探をやっていたそうである。戦後は日本郵船に入社し年に数度も帰らない船乗り生活。40年間務め上げ、四国遍路も西国巡礼もやって、今は版画が趣味。しかも鎌倉彫の師範免許までお持ちという。伺えば伺うほど起伏に富んだ素晴らしい人生を歩んでこられた方であった。そうして最後に「周囲のおかげで生きてこれた、感謝しかない」といって涙を零された。それがなんだか、お年を召したせいで涙脆くなったのではなく、本当に心から感謝をされているのだと思われ、こちらも目頭が熱くなったことだった。
翻って自分を見れば、なんとまあ、適当で自分勝手な生き方をしてきたことだろうか、と思う。周囲に感謝の念を覚えこそすれ、随喜の涙を流すほど、本気でそう思ったことがあっただろうかと思う。なんの屈託もしがらみもなく感謝の念で泣けるような人間では決してない。内臓を口から引っ張りだして裏返しにひっくり返したとしてもそうならない。よくわかない喩えだがともかく自分を恥じること多々だった。そういう方に貰われていった阪府授産所の拓ほか6枚。幸せものである。
喋りすぎたせいか喉が痛い。風邪をひく直前のうすら寒い感触がここ数日続いていて、今日などは喉に異物を覚え咳き込んで目が覚めた。毎日葛根湯を飲んで寝て起きては葛根湯な始末である。あと一日持ってくれれば。いや1日じゃ足りんのだ、せめて15日まで持ってくれんと。
エネルギー補給のつもりで吉野家へ行く。今日はなぜか客が一杯で、座って5分後に水が出てきて、15分後に注文が聞かれ、牛丼大盛りつゆだく+卵が出てきたのはさらにその15分後であった。3人オペでもこんなに詰まることがあるんだなと気の毒に思ったことだった。こういう時に腹を立てても仕方ないことくらいはわかるお年頃のようであるし何より今日のことを反芻していたらどうでもよくなった。般若の逆機用とでもいうべきか(いやいうべきでない)。