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2017-11-18 [長年日記]

[煉瓦工場] 九州に手を出す

何とはなしに、他にやることがあれこれあるだろうに、九州編の作成にとりかかってしまう。近デジのreachableな工場通覧はS24を残して終了。S24大分県で野上右田に煉瓦工場があったことを知って愕然とする。なん、そげなとこにんあったとー。

熊本には明治30年代に興った工場がいくつかあるが末年頃には姿を消してしまう。肥薩線の建設か、それとも三太郎峠のか。大正期には福岡の荒木村近辺と佐賀県三養基郡三川村寄人が工場地帯となる。荒木は荒木窯業のお膝元。して昭和期には昭和窯業合資会社があった。高橋煉瓦工場は個人工場のままで推移。菱Sは高橋周蔵の下の名前のSからとったと言われているけれども、昭和窯業のSでもよかごたる。工場主は坂井氏(坂上だっけ?)だし。三川村寄人はいまのみやき町寄人、有明海側の福岡県との県境で隣は久留米市という立地だ。一面の田畑地帯に工場が5つも6つも集まってて、同姓異名の個人工場もあった。業として見た時にはとても興味深い。そして窯業の町唐津にも唐津煉瓦と唐津焼煉瓦の両株式会社があった。井桁Kを関西近辺に求めていたけれども、九州が出処という可能性もないわけではないと考え直しておく必要があるかも知れぬ。他に九州煉瓦なんてのもあったのだし(ただし戦前の一時期のみ)。

菱Sを龍野の清水煉瓦と仮定してみてはいるが(工場周辺でいくつか見つかっているので)、◇マークを使うのは広島の工場に多かったみたいだし、一応高橋煉瓦も◇Sということになっている。関西ではなく瀬戸内圏西寄りの系統に属するのかも知れない。とかいいつつ生石山砲台の◇Wがあったりするのだが。そして龍野も充分西寄りなのだけれど。一度自分で工場周辺を見ておかないといけない。そー言われてみればマーク+文字という組み合わせは関西圏には少ないのだな…□+英数字とか□+漢数字は別物として、それ以外の、記号と何かの頭文字って。あ、耐火煉瓦はあるか・・・。鳴神団地に和歌山煉瓦と一緒に使われているのを忘れないように>nagajis。

鹿児島と宮崎は戦後の工場通覧でやっと数件出てくるのみ。確か山仮屋隧道の時は最初地元で焼いたけれども質が悪くて旭商社から買い直している。その後続くことがなかったか、5人以下の零細工場しかなかったのだろう。戦後の工場は煉瓦展の時に話を聞いた工場かも知れぬ。鹿児島は基本的にシラスだからなー、煉瓦作るんは難しかったんじゃなかろうか。

商工録は2、3目を通してみたけれども収録されてない府県があったりして、社章は博多窯業と2,3の耐火煉瓦工場くらい。大阪や愛知のような県単位の工場通覧は作成されていないようなので、あとは各県統計書と、昭和11年以降の復刻版と戦後の通覧を見なければならぬ。ってそれが一番面倒臭いんだけどさ。荒木窯業は刻印集成に数パターン掲載されていた。


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